他人軸に気づいたら…何をすればいい?〜自分軸を意識する方法〜
こんにちは
村松 いさおです
今日は、またまた人気の無料相談サイト「ココロノマルシェ」に寄せられたご相談にお答えしようと思います。
他人軸に気づいたら…何をすればいい?
いつもありがとうございます〜♪
最近は、前よりも
なくなったんですけど、(すごい!さすがカウンセラーさま!(*゚∀゚*))
他人軸になるときがあるので、
あ、なってるって
気づいたとき、
何をしたら自分軸に移動できるか
教えて欲しいのです(о´∀`о)
よろしくお願いします〜( ´∀`)
応援してます〜(・∀・)
あさん
こんにちは、あさん
ご質問ありがとうございます。
応援いただいて、参加カウンセラー、感涙にむせび泣いております。たぶん。
ご質問をいただいてから2ヶ月ほど経っているのですが、なんとなく他人軸、自分軸についてわかってきましたか?
あさんからいただいた他のご相談を見る限り、心理学を勉強されているようで、あさんは好奇心と知識欲が高い方だなと感じました。
僕も好奇心が山のように高いので、親近感が持てますね。
きっと、初めて訪れたレストランのテーブルにあるカスターセット(調味料とか爪楊枝とかセットしてあるアレね)はフタを開けて中身を確認したくなるタイプでしょう。
え?一緒にするな。
それ、オマエだけだ。ですって?
・・・・そうかもしれません。(しくしく・・・)
さて、あさんからの質問「他人軸に気がついたなら」どうすれば良いかということですが、
結論から書くと
「あ、他人軸になっている。と気がついた時点で、解決したも同然」
です。
そもそも、大切なことなので、ぜひ押さえておいていただきたいのですが、
他人軸は悪いことではない
ということです。
「他人軸」というのは、自分の行動や思考、感情、価値観などを選択するさいの基準や主軸が、他人=自分以外の人(パートナー、会社の上司、旦那、姑、両親、コンビニの店員、ガシャピン、アメリカ合衆国大統領など)になっている状態を表します。
また、選択する際の基準や主軸なので、人間だけでなく、お金や会社、マスメディア、社会組織、コミュニティ、SNSなどの場合もあります。その場合は、「お金軸」とか「会社軸」ということです。
反対に、それらの選択する際の基準や主軸が、自分にある状態のことを「自分軸」といいます。
さて、僕たちは、人間ではありますが、同時に社会性生物でもあるので、無人島で一人で木の股から生まれたわけでもなければ、当然、他人や社会、自分が所属しているコミュニティ(家族などは最も身近な社会的コニュニティです)と関わらなければいけないので、当然、「他人軸」になる瞬間というのは、しょっ中あるわけです。
なので、他人軸自体は、誰もがふつーーーーになることですし、むしろ当たり前に陥ることが多い状態だと言えそうです。
その意味においては、「良い、悪い」というよりも、「よくある普通のこと」だとも思います。
じゃあ、他人軸の何が問題かというと、
「主軸や基準が他人や他のものにあるため、それら次第でギャンギャン振り回される」
という点です。
その「他人」や「他のもの」が、常に僕たちに気を使い、僕たちの都合のいいように選択基準や主軸を僕たちに与えてくれればいいのですが、残念ながら、ほとんどの場合で、そう上手くは事は運びません。
他人は変えることが難しいしですし、まして自分の都合のいいようにコントロールなんて出来ないものです。
ところが、自分の行動や価値観、感情の基準がその他人になっているので、その人の行動や感情次第によって、自分の行動や感情があっちへ行ったり、こっちに来たりと振り回されてしまいます。
その状態では、当然、自分も疲れてしまうし、精神も擦り切れてしまうでしょう。あるいは、怒りや嫉妬、不満などのネガティブな感情も当然生まれます。また、他人の言動や感情に振り回された結果、選択なので、ネガティブなことや嫌なことがあった場合、被害者意識が生まれやすくなります。
「どーしてこーなったぁーーーーっ!オマエのせいじゃーーーー存在エックス!!」
というわけです。(わかる人だけわかれば、ヨロシ)
それを向けられた相手も嫌ですが、その感情を味わう自分も、なんとも嫌な気分になるものです。
それに対して、「自分軸」は、自分の言動や価値観、感情の選択基準や主軸が「自分自身」にあります。自分で選択できるので、どのような選択するかはいくらでも自分次第で変えることができます。つまり、言動や感情を選択する上での「自由度の幅が広がる」のです。
そうすると、自分の選択次第では、他人や状況、環境など「外側の世界」がいくら変化しようと、自分の感情や価値観など「内側の世界」は選ぶことができるので、気持ち的にも、精子的にも安定し、「余裕」が生まれます。
しかも、自分に選択権があるわけですから、自分の成長や変化、器の大小によって、さらに「選択の自由度」の幅は大幅にアップするわけで、そうすると自分の成長を感じ取ることができ、自己肯定感も上がります。
「前は、お好み焼きをオカズにご飯なんて、イラっとしてたけど、(自分でもやってみた結果=自分軸)アリよりのアリだと思えた(←選択の結果)。オレって成長したなっ!」(関西の人、すんません)
また、言動や感情を含め、例えネガティブなことや嫌なことが起こっても、全て自分が選択した結果と捉えることができるので、被害者意識や加害者意識を持ちにくく、その嫌な感情やネガティブなことから抜け出しやすくなります。(嫌な気分、感情にならないということではないよー)
例えば、ある上司から仕事を頼まれたとして、A先輩にやり方を聞いたところ、「それは、こうやればいいんだよ」と教えられたとします。
あなたが、A先輩から教えられた通りにやっていると、そばに来たB先輩が「ちがう、ちがう。それはこうやるんだよ」と、A先輩と全く違うやり方をあなたに教えようとします。
あなたがB先輩に「え・・・でも、A先輩からこういう風に教わって・・・」と言いかけた途端、あなたは思い出します。A先輩とB先輩の仲があまりよくないことに!
先輩達から嫌われたくないめに、また、2人のさらなる険悪な状態を回避するために、あなたが「ま、しょうがないか」と思い、B先輩のやり方でやっていると、そこに戻って来たA先輩が「え?なんで、そんなやり方でやっているの?私、こうやればいいって言ったよね?その方が効率がいいし。」と、怒られてしまいました。
後日、あなたは上司に呼ばれ、「なんかAが、君のこと、教えても全然その通りにやろうとしない。教わる気がないんじゃないか。って言ってたぞ」と評価が下がり、さらにA先輩からは嫌われて、哀れ、せっかく先輩に気を遣って配慮したのに、あなたが悪いことをしたように状況になり、他人に振り回された結果、「え?なんで?私悪くないのに!ひどくなーーい」と、すごく嫌な気分になるのです。
ところが、自分軸を確立していると、A先輩、B先輩から全く違うように教えられたとしても、どのようにするかは「自分で選べます」。A案を採用してもいいですし、B案を採用することもできます。A先輩が好きなら、A案を採用することができるし、B案の方が効率が良いと思えば、B案を採用することができます。
しかも、例えそれで怒られたり、嫌われたりしても、その時は嫌な気分になりますが、「自分が自分軸で選択した結果」なので、「まー、別にいいか。」とか「A先輩氏ね氏ね」とか、その状況から早く抜け出しやすくなり、また、被害者や加害者の立場を取りにくいため、「次はこうしよう」とか「こういう言い方に変えよう」とか「A先輩のご機嫌とりでもするか」など、対策も取れるようになり、さらに自分の成長にも繋がります。
こうして見ると、
ついつい「他人軸」になってしまうのはしょうーがないし、別に悪くもないんだけど、「自分軸」でいた方が、何かと自由だし、心も安定するし、成長にも繋がるしで、メリットがメチャクチャ大きいよね!
と、言えるのではないでしょうか。
ところが、僕たちは、ついつい他人軸に陥りがちになってしまいます。
自分の言動や感情の選択基準を他人や環境や状況に求め、日夜その対応に追われるため、「自分軸」でいるという視点について考えもしなかったりします。
僕は日本の社会では、特にその傾向が強いように思います。
ここで大切なのは
:自分軸・他人軸という見方があるということを知ること
:どちらの立場を選ぶかは自由であること
を認識することです。
ですので、冒頭でも書いたように
「あー、他人軸になっているなー」と感じた時は、すでに「自分軸」という視点がどういうものか知っているので、「あ、自分軸に戻ろう」とさえ思えれば、自分軸に戻れます。
ただ、自分軸・他人軸というのは、自分軸を選択したからと言って、ずーーーっと自分軸で居られるわけではありません。僕たちは長年の習慣によって、ついつい他人軸になりがちなので、それに気付く度に、「あ。自分軸に戻ろう」と意識することが大切です。
また、状況や環境によって自分軸になりやすいとか、他人軸になりやすいとかがあるため、その点も注意が必要です。
ちなみに僕は、未だにソシャゲの限定レアキャラ実装ガチャに際しては、「お金軸」になりやすいです・・・・。しくしく・・・・。
さて、最後に「自分軸」に戻りやすくする方法ですが、
・その状況に際した時、自分のことについて考える。
:「私はどうしたいのか」
:「私は何が好きなのか。嫌いなのか」
:「私は何を選ぶのか」
:「私は何が心地良いのか。悪いのか」
などについて考えてみると良いと思います。
自分を知る、理解することにも繋がりますね。
・「私は」を主語にして話してみる。意識してみる。
アイ(I)・メッセージというヤツですね。
人との会話の時などに「私は、自分は、僕は、俺は、拙者は」など主語を自分にして話してみます。
これは、自分と他人との間の境界を明確にするとともに、「その意見、感情などは自分のものですよ。あなたのものではないですよ」ということを、無意識的に伝えることがでい、安心感を相手に与えることができます。
「私はこう思うのだけど。どう?(あなたが、どう思っても、それはあなたの意見です)」という感じで。
特に日本語は明確に主語を表現しない言語なので、多くの日本人が苦手としますが、アイ・メッセージを意識すると、徐々に相手や他の人の対応が変わってくると思います。
(僕はこれで、家族喧嘩が減りました)
まずは、このあたりから、やってきてはいかがかなと思いますが、どうでしょうか。
あなたの幸せに繋がれば幸いです。
最後まで読んでいただきありがとうございました
では。