こんにちは
村松 勇雄です。
最近は、暑くなってきましたね。
もう初夏の季節だということを肌で感じるようになりました。
もうすく、梅雨の季節ですが、それを抜ければ夏。
季節が巡る時間は、早いものだと痛感します。(笑)
さて、今日は、
無料お悩み相談「ココロノマルシェ」にいただいたご相談に回答しました。
本日のお悩みはこちらです。
(「ココロノマルシェ」について、並びにご相談の受付はこちらにて)
将来への明確なビジョンがほしい
大学2回生、女子です。
大学院に進学し、心理師の国家資格を取るか悩んでいます。
自分がカウンセラーになることも、OLになることも、ピンときません。
いまは、資格取得に必要な授業をとっていますが、興味がない分野も多く、苦痛です。
大学院に進んで、夜遅くまで研究・講義・実習の日々を2年もやれるのか本当に不安です。
また、自分が心理職に就くことも恐れ多いです。クライエントの悩みを聞き、うまく導ける気がしないし、それをやっている心理士さんたちは本当にすごいです。
資格をとってどう活かして働きたい、というビジョンもないです。
でも、父は何度も「進学のお金は出すから資格を取りなさい。」と言います。
「資格は財産になる」、「心理職はなくならないから食いっぱぐれない」と。
確かに、このご時勢、普通に就活するのは大変だし、人と対話することは好きなので、心理職に全く適性がない訳ではないと思います。
どちらの道を選んでも、苦労・後悔・やりがいはあるとはわかっていますが、選べません。
どう選択するのがいいでしょうか?
よろしくお願いいたします。
マリンさん
マリンさん、こんにちは。
ご相談いただき、ありがとうございます。
僕も今のマリンさんと同じ大学生のころ、「将来の自分」について、悩んだ時期があります。
身近な先輩たちが「就職活動」をし始め、「将来の進むべき道」の足音が聞こえ始める時期。マリンさんと同じようなお悩みを抱える同年代の方々は、とても多いのではないかと思います。
さて、いただいたご相談を見て、全体的に感じたことは、
「それって思考で解決しようとしてへん?」
という点です。
僕たちは、転職先の仕事内容から、パートナーシップ、今日の晩御飯に到るまで、何かを「選択」する際には、ついつい「思考」で物事を判断してしまう傾向があります。これは、幼少期から学校教育などで、その方法を刷り込まれてしまっているため、自動的に判断を下しており、そうとは気づかないことも多いです。(最近では、様々な教育方法の学校も創られ始めており、今後、多様化していくことでしょう)
ですが、その「選択」の出所は、僕たちが感じる「感情」であることがほとんどです。逆に言えば、僕たちは「ある感情を(多くの場合はポジティブな感情を)感じたいがため、それを「選択」する」、「ある感情(多くの場合はネガティブな感情を)感じたくないため、それを「選択」する」ということです。
・今日は、自分にご褒美をあげて、自分を喜ばしてあげたいから、帰り道にケーキを食べちゃう!
・あの上司ムカつく!こんなムカムカする感情感じたくないから、転職しよう!
・この村松って人のブログ、おもろいなー、もっと過去記事観てみよう!
(ああ、冗談っすよ!待って!ブラウザ、閉じないで!)
こういうことは、日常でよくあることなので、なんとなく、ご納得いただけると思います。
ところが、何かしらの大きな問題にぶつかると、なぜか僕たちはこの「感情」を置いてけぼりにして、「思考」の力によってのみ、この「問題」に対処しようとしてしまいます。思考を使うこと自体は、「感じたい感情を感じるための方法を探す」という点では、有用ですし、悪いことではないのですが、その前段階の「感じたい感情をちゃんと見てあげる」ということをせず、「思考」のみに捉われてしまうと、
「あれ?わたし、たしかに自分で良かれと思って選んだ道なのに、なぜか、全然楽しくない、幸せじゃないんだよね?」
ということが起こってしまいやすくなります。
はい、かつての僕がそうでした!
「思考」と「感情」では、「感情」の方が圧倒的に大きなパワーを持っています。
アメリカの心理学者チップ・ハースとダン・ハースは、それを
「象使い」と「象」に例えています。
「思考や理性」=「象使い」は
「感情や本能」=「象」
に比べると、ちっぽけで力もありません。ですが、「象」に進むべき方向や方法を与えることで、建設的に「象」をコントロールすることが可能です。
一方、「象」は「象使い」よりもはるかに巨大で、力も強く、大きなエネルギーも持っています。ですが、「象使い」がいなくては、どちらにどう進んでいったらわかりません。
これは、どちらが大切、どちらが重要かという問題ではありません。
「象使い」がいなくては、「象」は(長期的、計画的に)進む方向がわからず、「象」がいなくては、「象使い」はそもそも進むことが困難です。(おそらく、歩くことはできるでしょうが、象に比べれば、弱々しく、すぐに疲れてしまうでしょう)
さて、以上の点を少し頭に入れつつ、マリンさんの文章をもう一度見てみると、
「マリンさんが(感情的に)どうしたいか」
が見えてこないなーと思うですが、どうでしょう?
それに付け加え、
>自分が心理職に就くことも恐れ多いです。クライエントの悩みを聞き、うまく導ける気がしないし
>資格をとってどう活かして働きたい、というビジョンもないです。
>このご時勢、普通に就活するのは大変だ
>どう選択するのがいいでしょうか
という点からは、マリンさんの抱える
「上手くやらなきゃいけない」
「失敗してはいけない」
「ちゃんとしなくちゃいけない」
「後悔してはいけない」
いわゆる「ちゃんとしなくちゃいけない病」「完璧主義」「正解主義」が見え隠れするのですが、いかがでしょうか。
おそらく、その根底にあるのは
>父は何度も「進学のお金は出すから資格を取りなさい。」と言います。「資格は財産になる」、「心理職はなくならないから食いっぱぐれない」と。
という、
「お父さんからの期待には応えてあげたい」「お父さんの想いに報いることができないのは申し訳ない」という気持ちがあるのかなと思うのですが、この辺は実際、マリンさんをセッションをするとしたら、見てみたい部分ではあります。
ただですねー、もし「お父さんからの期待には応えてあげたい」という気持ちをマリンさんが抱えていらっしゃるとして、この部分がとても大切だと僕が感じるは、
「マリンさんもお父さんのことを大切に思っているし、お父さんもマリンさんのことを大切に思っている」ということですね。
このことは、受け入れられる、受け入れられないはともかく、ちょっとそう思っておくと、いいかもしれません。(某3ヶ月先まで予約の取れない心理カウンセラー氏なら「ファザコンか隠れファザコン、どっちだと思う」と聞いているところでしょう)
さて、「ちゃんとしなくちゃいけない病」「完璧主義」「正解主義」の何が問題かと言うと、ある問題を解決しようとする時に「思考だけ=象だけになりがち」なことなんです。
「上手くやる」「失敗しないようにやる」「ちゃんとやる」というのは、「後悔したくない、失敗したくない」という「恐れ」を動機にしているので、思考だけがグルグル回り、そこには不安や閉塞感、行き詰まりしかありません。
>どちらの道を選んでも、苦労・後悔・やりがいはあるとはわかっていますが、選べません。
という一文からは「将来に対する不安」のみであり、「将来に対する夢、希望、ワクワク感」が感じられないことがお分かりかと思います。
ですので、マリンさんに考えていただきたいことは
>自分がカウンセラーになることも、OLになることも、ピンときません。
と感じるのだとしたら、
「私は、どうしたいのか?」
という点ですね。
・本当に私が好きなものは何だろう?
・本当に私がしたいことは何だろう?
・私って、どう言う時に幸せを感じるのかな?
・私が面白いもの、楽しいと感じるものは何だろう?
という「愛からの動機」=「自分が好きなこと、楽しいこと、自分の幸せ、ピンとくること」を、もう一度、ゼロベースで考えてみることをおススメします。「象」で例えるなら「ピンクの象」と言ったところでしょうか?え?キモい?じゃあ、「ゴールデンの象」。
今の大学の勉強の中でも、「これは楽しくないし、苦痛だけど、これは楽しいし、ガチ興味がある」というものもあるかもしれません。
あ、もし、宿題として出すなら、
・子供の時(思春期前半、小学生くらいまで)に好きだったものを紙に書く。
・なぜ、それが好きだったのかも紙に書く
・どんな小さなもの、些細なものでもいいから、「自分が好きなこと、もの、人」を探して、1日1つ、それを自分に与えてみる。これは、同時に自己肯定感も上がるのでおススメです
(ただし、もし好きなものがスイーツだとして、それで体重が増えても、僕はクレームを受け付けません!)
・自分が嫌いな「もの、こと、ひと」なども紙に書いてみる。比較的嫌いと感じるものから我慢できないものまでなんでも。
のあたりでしょうか。できる範囲でいいので、ちょっと考えてみてほしいなと思います。それで、「私って、こういうのが好きなんだー、嫌いなんだー」というふうに、自分のことが見えてくると、また、将来に対する気持ちも変化してくると思いますので。
もし、「ちゃんとしなくちゃいけない病」「失敗しちゃいけない病」「正解主義」をもし手放したいのでしたら、その次ですなー。
まー、手放さなくても、「自分の好きなこと、やりたいこと」は見つかるので、今はどちらでもいいです。
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さて、ここからは、心理カウンセラーとしての僕ではなく、「ちょっと人生の先を行く40過ぎのオッさん」のタワゴトだと思ってください。参考にしてもいいし、しなくてもいいです。
マリンさんのお父さんの言う、「資格は財産になる」という点は、本当だと思います。
資格があれば、それができる、できないという、職業、あるいは場面も社会の中では多々あるからです。
僕は以前、フランスに住んでましたが、「ディプロム(免許)」というライセンス制度が厳格な彼の国では、「資格」「免許」は人生を左右するほどの大きな力を持ちます。
ただ、それをご本人がやりたいかどうか、は、また別の問題であることも覚えておくべきしょう。
「心理職はなくならないから食いっぱぐれない」は、カウンセラーという立場ながら、わかりません(笑)。
将来、どういうことが起こるかは、予測が難しい時代にいるからです。僕らが大学生の時は同じことが「銀行」で言われていました。今、銀行も潰れることがあることは、皆さんご存知だと思います。
「食える職業、食えない職業」で選択することは、とても大切だと思う一方、それ以上に「自分にとって、それが、好きかどうか」で選択した方が、その人の人生にとって幸せなのではないかと思います。
また、「心からの好き」=「愛からの動機付け」で選択したものは、例え失敗しても、後悔することが少ないでしょう。
そして、40年以上生きてきて、わかったことは、
「人生、どうせ、どうなるかわからない」
ということです。
だから、
>どう選択するのがいいでしょうか?
と思う気持ちも、大変良くわかるのですが、(僕も、同じように「正解するにはどうすればいいか」「失敗しないためにはどうすればいいか」で悩みましたし、今も、それに囚われることがあります。絶賛「正解主義野郎」なので。笑)
どう、選択しても、なるようにしかならん。
ということですし、
「どうせ、思い通りになんかなるもんか」
ということです。
(例えば、ここまで、コロナウィルスの影響が大きくなり、世界経済に大打撃を与えるなんて、去年の1月のニュースの時点で誰が予想したでしょう?)
どうせ、人生なんて、どっかの時点で、失敗はするし、挫折はするし、後悔はするし、ボロボロにはなるけど、それと同時に、いや、むしろそれがあるから、喜びや、楽しみもあるし、幸せにもなれる。
禍福はあざなえる縄のごとし
と、オッさんは遠い目・・・をしながら、思っています。
そして、そんなことよりも、「自分らしく生きる」「自分に素直に生きる」ことの方がとても大切だとも思います。
ですので、マリンさんもどうか
自分と自分の可能性を信じて、(=「自信」ですね)
前に進んでいただければと思います。
これからのマリンさんの前途が明るく、希望に満ちたものであることを願ってやみません。
それでは、今日はこの辺で。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
Salut !!