こんにちは
「自己肯定感は全てを解決する」でお馴染みの
村松いさおです。
↑のこれ、最近書き始めたんだけど、何気に好評です。
なぜだろう?
わからぬ。
さて、僕は、長年お酒の業界に生きているのですが、酔うとなぜか「人見知りを全くしなくなる」という悪癖があります。
なので、飲み屋とかで結構な勢いで色々な人と知り合うのですが、
なにせ酔っているので、その内の98%の方については、翌日忘れています。
運が良ければ、憶えていて、稀に長いおつきあいに発展することもあるのですが(男女問わず)、ほぼほぼ、「その場限りのご縁」に終わることも多く。あ。「一夜限りのロマンス」のような素敵な(?)関係ではなく、大概は「もつ煮にネギを添えるのはアリかナシか」とか、「府中競馬場の大ケヤキ」とか、「宇宙世紀における歴史」などなど、おおよそ、箸にも棒にもならぬような話で盛り上がって終わります。
まぁ、「袖すり合う」もなんとかと言うので、前世か、前々前世か知りませんが、きっとご縁があったかもしれません。
今日は、そんなお話
人って、生きていれば、多かれ少なかれ、他人との出会いは避けれらないものです。
生まれてくれば、家族と。
学校教育が始まれば学校の人と。
社会人になれば、職場の人など。
長く生きれば、長く生きるほど、多くの人と出会うでしょう。
もし。あなたが無人島、人里遠く離れた山奥やジャングル、砂漠、宇宙空間で生きていれば、その限りではないかもしれませんが・・・・。
それが、良い出会いなのか、悪い出会いなのか、縁がなかったのか、縁があったのかはわかりませんが、上記の僕のように、その場限りで終わることもあれば、なぜかずーーーっと続くこともあるでしょうね。
それが、良き出会いならラッキーなのですが、中には
「うわっ、サイテーーーー」
みたいな出会いもあるわけで。
「こんなやつと出会うなんて、前世でよほど何か悪いことしたのか私!」
みたいに感じることもあるかもしれません。
それは、職場だったり、パートナーだったり、友人知人、ご近所、親類縁者、家族一族などなど、色々だと思いますが、出会ってしまった手前、なかなか
「ごめん、これナシ!ナシ寄りの無し!ノーカン!」
というわけにもいかず、今日も今日とて、憎っくきアンチキショーの顔を浮かべて、腹わた煮えくり返したり、テンションだだ下がりになるわけです。
ところが、僕たちは
「対人関係におけるエネルギーの総量」
というのは、どうやら決まっているらしく。
その「出会っちまった、憎っくきアンチキショー」
のために使う、体力、感情、時間、労力、経験値、精神力などが大きくなればなるほど
「本当に大切にしたい人間関係」
のために体力、感情、時間、労力、経験値、精神力を使うことが難しくなってくるんじゃないかなーと、僕などは思っています。
人には限度や限界があるからね。
リソースは有限なんだし。
例えば、
会社でムカつくセクハラ上司のせいでイライラして、つい、自分のパートナーに八つ当たりしてしまったり。
ママ友のマウント合戦に巻き込まれて、落ち込んで、つい自分の子供に失望してみたり。
そんな自分を自己嫌悪してみたり。
嫌味なアンちくしょーのために、悶々として、つい家族との時間をおろそかにしてしまったり。
気がつけば
「本当に大切にしたい人間関係」よりも
「どーでもいい、むしろマイナスな人間関係」のことばかり考えてしまい、
そのために、様々な時間や労力や、経済的なコストを割かなくてはならない。
そんなことって、結構あると思うんだよな・・・・・。
愛は無限とはよく言いますが、、時間や労力やエネルギーや金銭は、有限なわけで、だからこそ
「嫌いな奴より、好きな人、大切にしたい人」にそれを使うべきだと思います。
そのためには、
「別に、その人たちに嫌われてもいい」
くらいにまで、振り切ることも大切なんじゃないかなと思います。
あなたが、この先何百年と生きるなら別だけど、
僕を含めて、人間何が起こるかわからないし、少なくてもあなたも、僕も残り数十年くらいしか生きられないので。
その嫌いな人たちのために、あなたの貴重な時間を使うのって、
どーなのよ?実際。
というわけで、
「貴重なリソースは有限だから、ちゃんと適切な場所に使いましょう」
というお話でした。
それでは今日はこのへんで。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました
あなたの幸せのヒントになれば幸いです。
ではまた。
今日の一杯。
大切な人に想いを馳せるお酒。
シャトー・ディケム
フランス・ボルドー地方ソーテルヌ村で造られるシャトー・ディケムは、世界3大貴腐ワインとして知られる偉大なデザートワイン。
「貴腐菌」というカビの一種の作用により糖分が凝縮され、そのブドウ果汁は天上の甘露ともいうべき味わいに変化する。
1本の木からわずかグラス1杯分しか取れず、また、多大な労力と天候の運が作用するため、極めて貴重。もちろん、価格もそれなりになる。良い年ものだと、100年以上熟成するものも。そのクラスになると、まさに「歴史を飲む」という言葉にふさわしい。