こんばんは
村松 勇雄です
今日は前回の続きです
前回の「ついつい「自分を自分で責めちゃう」あなたへ」という記事で、
「ダメな自分、出来ない自分、ポンコツな自分、ちゃんとしない自分にもOKを出す」とそのうちダメな自分も受け入れることができるようになりますよ
と書きました
でも、それと同時に「ダメな自分を認めちゃったら、もっとダメになっちゃうんじゃないの」という疑問を多くの方が持つと思います。
実際、僕も「ダメな自分でもOKを出す」ということを聞いた時、「そんなことしたら、成長しないし、益々ダメになっちゃうんじゃないの」と思い、しばらく、この考え方を受け入れることができませんでした。
(この時点で、すでに「正解主義」「ちゃんとしなきゃ主義」に捉われているのすが・・・)
でも、その後、色々と自分にとってシンドイことが続き、徐々に「ダメな自分でもOKを出す」ことを受け入れはじめ、少しづつ、日常生活の中で実践して行きました。
そうすると、少しづつ「もう少し、気軽でも良い、ゆるくてもいい」と思えるようになり、同時に、毎日を肩の力を抜いて、楽に生活できるようになって行きました。
そして、「ダメな自分、ちゃんとできない自分、ポンコツな自分でもOKを出す」ということが、「自分の成長や努力することを止めたり、益々ダメになってしまうことではない」ということがわかったり、むしろ、感情面や心の中にゆとりが生まれ、「益々自分を成長させたり、器を大きくするための努力をするようにしよう」と自然と肩の力を抜きながら思えるようになったのです。
さて、そもそもの話として、「ダメな自分を認めちゃったら、もっとダメになっちゃう」という想いの裏には、「ダメな自分ではいけない、そういう風になってはいけない」という想いがあります。
この思いのベースには「ちゃんとしなくてはいけない」「良い子でいなくてないけない」「完璧でなくてはいけない」「正解しなくてはいけない」という、いわば「完璧主義」「正解主義」「良い子ちゃん主義」とも言えるものがあります。
なぜそういう想いを持つかというと
「だって、そうしないと、愛されないから。認めてもらえないから。受け入れてもらえないから」という欲求(ニーズ)が隠れているからです。
多くの場合、そうしたニーズは過去のある時点で形成されるのですが、だからと言って、この過程は決して特別なものではなく、「愛されたい。受け入れてもらいたい」という人間本来に備わった本能的と言ってもいいものなので、まー、誰にでもあるよね。というお話です。
これは、自分以外の他者から「愛されたい。受け入れてもらいたい」と思うものですが、自分自身が自分に対して「愛する。受け入れる。認める」ということをしても、徐々に満たされてきます。というか、その状態を他者にも投影するので、むしろその方が、いつのまにやら周りの人から受け入れられたり、愛されたりという状況が増えてきます。
なので、ちょっと最初は勇気がいるかもしれませんが、
・だめな自分
・できない自分
・ポンコツな自分
・完璧でない自分
・欠陥だらけの自分
を認めて、受け入れて、愛してみる。
そうすると、自然体で「益々自分を成長させたり、器を大きくするための努力をするようにしよう」と思えて、現実や人生が変わり始めますよー
というお話でした。
ま、自分の「だめなところ、できないトコロ、欠陥なトコロ」って、実は魅力や才能、長所の裏返しなので、そもそも「だめか?」という根本的な問題があるのですが、そりゃ、また、今度。
では、今日はこの辺で
最後まで読んでいただき、ありがとうございました
Salut !!