こんにちは
村松いさおです。
今日も無料お悩み相談サイト「ココロノマルシェ」に寄せられたお悩みに回答したいとおもいます。
昨今は情報が氾濫しADHDやHSP、発達障害などの言葉も巷で散見されるようになりました。そういった方々がいますよ。という認知を広める部分では、とても役に立つのですが、一方で、その言葉に縛られたりしてしまうと、なにもないところに、あえて不安や心配などの悩みが生まれてしまいます。
そんな時は、やはり「自分軸」が大切になってきます。
今日はそんなお話。
体は大人こころは子ども?
私はいい年になっても落ち着きがなかったり、おしゃべりで話がすぐ飛ぶし、またすごく飽きっぽいです。
自分ではADHDだと思ってました。
先日友人の家に遊び行って、友人が用事を済ましてる間手持ち無沙汰で本棚にあった心理学系の本を借りて読んでました。
その中に「発達心理学なんたら〜」というのがあって読んでみたら、タイトル通りの自分への疑問が湧きモヤモヤしてこちらへの投稿に至りました…。
その本には、人には年代ごとの「発達課題」というのがあって、それを乗り越えないと、いつまでもその年齢に止まって生きづらくなる、とありました。
で、私のADHD的性格は、小学生か思春期の精神年齢と当てはまってて「マジか…」となりました。
また、そこに書いてある「そういう大人が社会でぶち当たる壁」という壁という壁に私はすべてキレイに顔面から突撃していました。
そして今はその壁に四方を取り囲まれたウォールマリア状態(進撃の巨人)じゃん…となりました。
くわえ、どうしてそうなるのか?という理由の「家庭の事情で反抗期を十分にやってない、またはほぼやってない」が決定打でした。
友人にそのショックは伏せて何でもないような顔で「こ、この本面白いね!」と言ったら、友人は保育士をしていたのですが、そういう短大とかで習うわりとメジャーな心理学らしく、あとでググったら「エリクソン」という「アイデンティティ」という言葉を作った人の心理学で教育現場では常識らしかったです。
友人の目に私はどう見えてんだろ…と挿れて貰ったコーヒーがエスプレッソのように苦く感じました。
そう言えばこういう母性強い人しかまともに私の相手ってしてくれてないかも、とも思いました。
「野良猫男子」と言う名の永遠の少年などにお詳しい皆様にこのショックを言ってしまいたくなり、失礼しました(私も野良猫属性です)
鴨川コナン さん
コナンさん、こんにちは
ご相談いただき、ありがとうございます。
自慢ではありませんが、エエ年して、落ち着きがなく、精神年齢低めで、飽きっぽい、しかも野良猫男子の気があるとは、まるでこのブログの執筆者のようですね。
コナンさん、東京の同名の方のように、推理力抜群だったりします?
それにしても、コナンさんは文才が豊かな方ですね!ユーモアがありつつ、わかりやすく簡素に内容をまとめられていて、読んでて思わず「クスッ」となりました。
その爪の垢を煎じて、是非僕に飲ませて欲しいものです。・・・・いえ、そういう変態的でご褒美的な意味ではありません。
さて、コナンさんに限らず、何かのサイトや本などの情報から「問題のある人は、こういうのが当てはまりますよリスト」みたいなチェックリストに引っかかり、「ひょっとしたら、自分には問題があるのではないだろうか」と思ってしまう方も、情報が氾濫するこのご時世、案外多いのではないでしょうか。
最近では、テレビ、ネットなどでもADHAやHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)などの言葉が随分と散見され、巷の本屋さんでもそれらを扱った書籍が数多く出回るなど、昔に比べれば、だいぶ身近になった言葉だと思います。
のみならず、自閉症、双極性障害、自己愛性パーソナリティー障害など、これまでは心理学や精神医学の専門家の間でのみ使われていたような専門用語が、徐々に一般の方々の間にも浸透しつつあるなと、ジュンク堂(大型書店)に行くたびに感じる今日この頃です。
そんな中で、例えば「この障害を持つ人には、こんな特徴があります!」など書かれていると、思わず、常日頃の自分と比較し、「うわっ!ちょっと当てはまる事が多いんだけど・・・。ひょっとして、私ってやばい?」などど、不安に思われるのも無理のない事だと思います。
ただ、こうした精神疾患や障害、神経症などの診断には、それこそ専門医による慎重なテストと診断が必要不可欠であり、迂闊な判断や判定は、新たなる問題の種になる危険性を多分にはらむため、取り扱いには注意が必要です。
例えば、コナンさんに挙げていただいた「発達課題」というのは、確かに理論として存在していますが、どちらかというと心理学をベースとした教育論に近く、僕個人としては「その年齢の時には、その課題をクリアしておいた方が、その後の人生において、多少スムーズに(精神的に)成長できて、幸せになれると思うよ。たぶん。うん、だといいな」くらいにしか捉えていません。
うーん、なんかねー。(タバコの煙を天井に吐きながら。←吸えねーけど)
いま、コナンさんが、なんかスゲー悩みを抱えていて、ちょーぜつ不幸のど真ん中にいるなら、まー幼少期の「反抗期、やらなかったね」ってことが、関係してるし、していないかもしれないけど、そうでないなら、あえてそれを問題にしなくてもいんじゃないでしょうか?
こうした「精神分析」というのは、カウンセラーがクライアントさんの問題や悩みを解決する時には、時として非常に役立つツールであり、また、発達課題の理論が教育論に大きな影響を与えているように、学校関係者や教育者、親御さんなどが子供の「教育方針を決める!」みたいな場合には、大いに参考になるのでしょうが、それと、個人の「幸福」とは、僕個人としては、分けて考えた方がよいのではと思っています。
というのも、人間はこのようにスムーズに人生を歩むことは、残念ながら「ほぼない」し、逆にその年齢の発達課題をその時にクリアできなくても、幸せになる方法は、100万通りくらいあると思っているからです。
例えば、コナンさんが読んだという、エリク・H・エリクソンの発達課題によれば、5歳からの「学童期」においては、様々な課題に取り組むことで、「俺にはできるぜ!じっちゃんの名にかけて!」という「有能感」が育ち、逆に失敗した時に、きちんとした的確なフォローがないと、強い「劣等感」を持つと言われています。
でも、こうした劣等感って、別に大人になってからでも持つし、逆にこの劣等感をバネに、練習に励み大成したスポーツ選手や才能が開花したミュージシャン、アーティストも大勢います。
また、同じくエリクソンのよれば、20歳から39歳の青年期には獲得すべきテーマは「愛」であり、「ちゃんと人と関わらないと、長期的な人間関係やパートナーを築くことができずに、孤独になるよー」と言われているのですが、
残念ながらこのブログの執筆者は40代半ばで、パートナーいませんが、こんな僕はこの先幸せになれないのでしょうか。
だとしたら、なんか、ちょっとエリクソンさんに喧嘩売られているような気がしてしまいます。笑
それは、冗談だとしても、逆に「孤独」であることで幸せを感じる人も、世の中にはいるのではないでしょうか。極端な人嫌いとか、修行僧とか、仙人とか。
つまり、個人の幸せは多種多様であり、「その人が何を幸不幸とするかは、その人がその時に決めるのであるため、一概には言えないのではなかろうか」ということです。
(エリクソンの時代には無かったのですが、現在は神経科学や脳科学、MRIなどの学問や技術の進歩により、人がどんな時に、何に幸せを感じるかはだいたい、わかるようになってきました。それでも非常に多様であることは変わりません)
東京の川のコナンくんにはとって、「真実は一つ」かもしれませんが、心の世界においては、幸せは一つとは限りません。
とはいえ、こうした発達課題の理論をきちんと理解し、それの基づいた教育をすることで、「より的確に、スムーズにその人の成長を促し、幸せ(であるだろう)になる確率を上げる」ためには、とても大切だとは思います。
ただ、きちんと、それに則った課題をクリアしても、不幸になる時には不幸になるものです。
ええ、パートナーにこっぴどく振られてたときなんかは。
また、こうした言葉に縛られたりすると、コナンさんが陥ったように、それまで無かったところに新たに不安や心配などの問題を作ったり、小さかった問題や悩みを、あえて大きくしてしまう可能性も多分にあると思っています。
火事は対岸にも関わらず、あえて、こちら岸の家に火つけるようなものです。
阿笠博士が、名前にお酒の銘柄が入っているというだけで、あえて黒幕にされるのようなものです。(一時期、そんな噂がありましたね・・・)
ADHDやHSPだったとして、それがその方にとって、生き辛さやシンドさ、悩みや問題になるようでしたら、なんらかの方法で治療や緩和など、対策・対応を考える必要があると思うのですが、それでも、今現在幸せだったり、あまり問題に感じていないようでしたら、特にそこにフォーカスにする必要はないと考えています。
ADHDだろーが、幸せな人はいっぱいいますしね。
逆に、ちゃんと発達課題をクリアしても不幸な人もいっぱいいますしね。
言葉に振り回されない「自分軸」が大切になってきますね。
僕のとある友人は(本人曰く)HSPらしいのですが、まぁ多少センシティブなところもあるとは言え、彼氏と別れた後、途端にモテまくった挙句、今では新しい彼氏と幸せそうにやってますよ。
だから、それよりも、「自分は自分」という自分軸をきちんと確立し、
:その人にとっての幸せは何か
:どうしたら、その幸せを手に入れられるのか
:人としての成長はなにか
:どうしたら成長できるのか
ということにフォーカスした方が、より幸せで豊かな人生を送れるのではないかと考えています。
(もちろん、そうした症状や悩みがあり、実際にそれで大変な思いや、苦しんでいるようでしたら、それをないがしろにせずに、きちんと治療や解決方法を探すことが大切であることは、言うまでもありません)
周りが壁に囲まれたウォール・マリアでも、自由と幸せを求めて壁をぶっ壊せばいいんですよ。エレンのように。
(そんな気起きないよ・・・とか、本当に壊せるのかな・・・などお悩みの時は、カウンセリングを通して、一緒にその方法を考えましょう!)
さて、こうした専門用語の一人歩きというのは、ある一面、とても大きなリスクを抱えていると先に書かせていただきました。
そもそも、こうした専門用語や知識は、それを通じて、クライアントさんやそのような症状、心的傾向を抱える方々に対して、きちんと理解して、受け入れ、それに的確でふさわしい対応・対処する際にはとても役立ちます。
ところが一方で、逆にその言葉を持ち出すことで、その人に対して安易な「判断」をしたり、「レッテル」をはったり、挙句は不安を煽ったり、差別意識や被害者加害者意識を助長することにもなりかねません。この点は、とても注意が必要です。
諸刃の剣というやつです。
ですので、僕らカウンセラーはこの辺りのデリケートな部分に関しては、非常に慎重に扱う必要があると思っています。
というわけで、コナンさんの話に戻りますと、
:それでも不安ならば、ADHDかどうかは専門機関で検査すればいいですよ
:もし、問題や悩みが大きければ、その時に解決すればいいですよ
:だから、そういう「チェックリスト」に当てはまったとしても、今現在が幸せなら、あえて悩みを作ったり、問題を大きくする必要はないですよ
:素敵な母性豊かなお友達を大切にしましょう
:ちなみに、そういう「落ち着きがなく、飽きっぽい、精神年齢が低いかもしれないような」方には、蘭ネーチャンのような「しっかりとして、落ち着きがあり、面倒見のいい」パートナーがちゃんとできるもんですよー。
ということですなっ!
・・・・え?最後のですか?
それには、それなりの理由があるのですが、長くなるのでまた今度。
というわけで、僕からの回答は以上です。
いかがでしょうか?
コナンさんの幸せのヒントになれば幸いです。
では。