こんにちは
村松 いさおです。
僕たちは、自分自身の人生を歩む中で、日々色々なことに遭遇します。
その中には、当然、
良い(と感じる)こと
だけでなく
悪い(と感じる)こと
も、起きてきます。
このブログにおいては、パートナーシップの終わり=パートナーとのお別れなんかもそうでしょう。
でも、それは本当に
「悪い」ことなのでしょうか?
一見、「最悪だ」「もう勘弁してくれ」「やってられない」「もう終わりだ」と感じるような「悪い」出来事でも、ひょっとしたら
「もっと良いことに繋がる出来事」だったり、
「何かしらポジティブなことが生まれる種」だったりするかもしれません。
こうしたこと「出来事」に対するポジティブな捉え方を
「肯定的な意図」
と心理学の世界では呼んでいます。
肯定的=「何かしらの良い意味」であったり、「ポジティブな側面」という意味です。
例えば、有名な中国の故事に「塞翁が馬」という言葉があります。
どのようなお話かというと・・・・
国境の近くにあった塞(とりで)の近くに住んでいた翁(老人)は、何よりも自分の馬をかわいがっていた。
その馬は、周りからも評判が立つほどの駿馬だったが、ある日突然、蜂に刺された拍子に飛び出してしまう。一向に帰ってこない馬の様子に、周りからは翁に同情するほどだったが、翁は「これがきっかけで何かいいことが起こるかも知れない」とだけ言って、我慢強く待ち続けた。
すると、どうだろうか。しばらくして、その馬が別の白い馬を連れ帰ってきたのだ。しかも、その白馬も負けず劣らずの優駿で、周りの者は口々に何と幸運なことかと囃し立てたが、翁は「これがきっかけで、別の悪いことが起こるかもしれない」と自分を戒め、決して喜ばなかった。
それから、かわいがっていた息子がその白馬から落ちて、片足を挫いてしまった。周りはまた同じように慰めの言葉を掛けたが、翁はまた同様に「いいことの前兆かも知れない」と告げる。
それからしばらくして、隣国との戦争が勃発した。若い男は皆、戦争に駆り出されて戦死した。しかし息子は怪我していたため、徴兵されず命拾いした。そして、戦争も終わり、翁は息子たちと一緒に末永く幸せに暮らしたという
wikipediaより引用
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このお話しからもわかるように、人生、誰にとっても、良いことも起きるし悪いことも起きるわけで、何が良くて、何が悪いかは、推し測ることが難しいといえるでしょう。
そして、その出来事が「良い出来事」か「悪い出来事か」というのは、実は僕たちの「枠組み」の中でしかありません。
ある人にとっては「最悪」の出来事でも、別の人にとってみれば「最高」なことなのかもしれません。
(例えば、「高級ウニ寿司食べ放題」は「最高!」な人もいるかもしれませんが、僕にとっては地獄です。 ←ウニ嫌い)
また、同じ人でもそれが起きるタイミングによって、「最高」な時もあれば「最悪」な時もあるでしょう。
(例えば、「高級プリンを好きなだけ食べていいよ!」とお腹が空いている時に言われたら、「マジか!あんた神か⁉︎」と小躍りしながら喜ぶでしょうが(← プリン大好き)、焼肉食べ放題にうな重食べて、しこたまお腹がいっぱいの時に言われたら、敵意すら湧くかもしれません)
なので、例えば、「パートナーと別れた」「パートナーに振られた」というような、「人生最悪クラス」の出来事が起きたとしても、ちょっと時間が経って心が落ち着いてきたら、
「この出来事、この別れの肯定的な意図は、何だろう?」
と考えてみてもいいかもしれません。
(もし、あまりに思い浮かばなかったり、「肯定的」という言葉に抵抗があるようでしたら、「もし、仮に、これが何かのチャンスだとしたら何だろう」とか「肯定的な意図というものが、仮にあるとすれば何だろう」と言う風に、「if」で考えてみると良いでしょう)
「人生のどのような出来事にも「肯定的意図」があるとしたら・・・」
その答えによっては
「ああ、だからこんな事が起きたのか!」という発見であったり
「ああ。この出来事が起きたから、今の幸せがあるのね」という恩恵であったり
「ああ。これを気づかせるためなのかもな」という成長のヒントだったり
するかもしれません。
全ては「あなたが、その事をどのように捉えるか」によって決まるのです。
というわけで、今日はこの辺で。
あなたの幸せのヒントになれば幸いです。
今日も応援しています。