こんにちは
村松いさおです。
あちこちで、
「手放した方がいいよ」
「手放さないと進めないと」
「手放すと新しいものが入ってくるよ」
と言われるので、ついつい「手放さなくちゃ」と思いがちですけど、別に手放せないなら、手放さなくてもいいんじゃね?
今日はそんなお話です。

何か自分が執着しているものがある。
それは、別れた恋人だったり、パートナーだったり、地位だったり、過去の栄光だったり、家族だったり、仕事だったり、ビジネスモデルだったり、今までのやり方だったり、取り逃がした限定超レアキャラだったりで、本当に様々です。
(すげー欲しかった限定キャラを逃すと、本当に、悶々とします。え?その話は、どうでもいい?)
でも、その執着が苦しく、さらなる問題を生んでいることがあるので、色々ところで
「手放した方がいいですよ」
と言われます。
実際、執着しているものを手放した方が、楽になるし、問題解決の近道になるし、新しいものも(それは人だったり、習慣だったり、チャンスだったりします)も入って来やすくなるのも事実です。
でも、そもそも、そんな簡単に手放せるものなら、とっくに手放せとるわいっ!と思いませんか?(僕は思いました)
そんな簡単に諦めたり、手放せないからこそ、執着するし、こんなサイトをあちこち探し回ったり、悶々としたりして「やっぱ、手放せねー」ってなってると思うんですよね。
(僕がそうでした)
でも、あちこちで
「手放しましょう」
「手放した方が幸せになりますよ」
「手放せば楽になりますよ」
と言われるので、
「やっぱ、自分が幸せになるためには、手放さなきゃならんのか・・・」
と、「手放さなくちゃならないことを、手放せずに」悶々としてしまう。(なんか、禅問答みたいですね)
でもですねー。
そーまでして、無理して手放さなくちゃならない、でも手放せないものならば、いっそのこと
「手放さなくてもいい」
と思うんですよ。僕は。
ええ、アリです。あり寄りのアリです。
「手放すことを手放してしまう」(2回目!)
それでもいいと思っています。
だって、「今は」無理なんだもん。
「今」は手放すことがしんどいんだもん。
手放さなくちゃならないと幸せになれないと言われたから、手放す
って、なんだか取引みたいだし、脅迫みたいだと思いませんか?
「ウヘヘへ。お前、それ手放さんと幸せになれないぜー」みたな。
確かに、手放した方が、早く楽になるし、幸せには近道だと思います。
でも、無理して手放さなくても、幸せにはなれます。
(幸せは主観だし、永続的な感覚ではないので)
ただ、もし、あなたが、「いや、私は、もう手放したい。もう自由になりたい」という
「したい。できる。やろうと思う。」
という感覚で、いわば、「自分が望んでする手放し」はぜひおすすめします。
でも、その「準備」が整ってないのに、無理やり手放そうとして、苦しいのならば、別に無理にやる必要はありません。
いくら、健康にいいからと、無理やり大っ嫌いなものを食べさせられるのは、嫌でしょ?
(僕は、無理やりホヤを食べさせられそうになったら、全力で逃げます)
だから、もし、今あなたが「手放したいけど手放せない」ものがあるならば、そこでシンドイなーと思うのなら、「無理やり」手放す必要はないので、大丈夫です。
それに、「やらなくちゃ」と思うと、それができない自分を自己攻撃したり、「やっぱだめだ」と自己否定するので、益々自己肯定感下がると思うんですよねー。
逆効果じゃね?
かつて、僕も「あること」をずーーと手放せないでいました。
それでも、「幸せになりたければ、手放した方がいいよ」と言われるので、色々「手放そう、手放そう」としてみたんですね。
でも、中々うまくいかず、「手放せない自分」にずーーーと悶々、イライラしてたことがありました。
そのうち、そんな状況が嫌になって、「もういいや、手放さなくて」と、「手放すことを手放した」(3回目!)んですけど、そしたら、いつの間にか手放せてました。
もし、あなたが、
「私が」もうそれを手放し「たい」
と思うのならば、それを加速させる方法はいくらでもあるので、カウンセラーやらセラピストさんに頼るのはオススメします。
でも、望んでもいないのに「手放さなくちゃと言われたから、手放す」というのは、なんか違う気がするんですよねー。僕だけかな?
あ、でも、手放せいないなら、手放さないでいいんですが、
「じゃあ、なぜ自分は手放せないんだろう」
と考えてみることは、大切だと思います。そのことについて考えることは、「自然な」手放しが進むことに繋がるので。
思いつく中で、代表的なものをあげると。
:「その状況に慣れすぎてる」
ずーーーっと、それを握りしめていたので、その感覚が当たり前になっていて、それを手放すと何か寂しいような、何か一部をなくしたような感覚になるので、あえて手放せないでいる。
:痛み止め
その執着しているものを手放してしまうと、さらに大きな痛みが出てくるので、それを防衛するために、あえて手放さないでいる。
:まだ癒えてない
これは結構あるあるだと思います。
それを手放すには、またあまりに痛みが大きく、手放す段階ではない。
治りかけてもいない傷を、無理やり開くようなものですね。まずは、痛みや傷を「癒す」ことから始めましょう。
:手放さないほうが都合がいい。
例えば、「元彼を手放してしまうと、自分の本当の問題に向き合わなくていいので、あえて手放さない」というようなケースに見られるパターンです。これも、色々なケースがあります。
:手放すのが単純に怖い
「その状況に慣れすぎている」に似ていますが、手放してしまうと、自分の中に大きな穴がぽっかり空いたような気がしたり、「あの人に忘れられるんじゃないか」というような気がしたり、自分の中の何かを失ってしまうような気がするなど、手放すことそのものが、「どうなるかわからない」恐れを持つので、手放せないというようなことも、良くあります。
:実は、もう手放せてるけど、「手放してないような気がする」
実は、もうすでにある程度手放せているんだけど、「なんか手放してない気がする」だけのパターンもあります。完璧主義やこだわりが強い人に多いかもしれません。
「手放した感覚がわからない」ということもあるかもしれませんし、「本当の手放しって、きっとこんなものではないだろう」という、「手放す」ことに対し、過度に期待している場合もあります。(僕がそうでした)
などなど
まだまだ、たくさんある気がしますが、ざっとこんな感じでしょうか。
色々、ありますが、そのどれもが「恐れ」や「不安感」がその根底のある点がポイントです。
「実際に手放しても、その恐れていたことや不安に思っていたことは、大体幻想でしかなく、現実にならない」ということが、肌でわかってくると、次第に手放せるようになってきます。
そう、手放せる時は、意外と自然に手放せているもんです。
「そーいや、最近、あの人について、あのことについて、考える時間減ったよな・・・」とか
「あれ?なんで、わたし、あんなに執着してたんだろ」
なんていう日も、いずれやってくることでしょう。
ですので、それまでは、痛みを伴うなら、しんどい想いをするなら、
無理やり手放さなくても、いいのではないでしょうか。
「今は無理でも、いつかは手放せているのかもしれない」
これも、「自分のこの先を信じる=自分を信じる」ことに繋がると思います。
あ。もし、今すぐ「もういやじゃー。手放したーい」ということでしたら、そのお手伝い、させていただきますよ。
では、今日はこの辺で。
あなたの幸せのヒントになれば幸いです
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。