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「使命」を自覚した日


こんにちは

村松 勇雄です。

実は、今日だいぶショックなことがありまして。ええ、個人的に。

詳細は、端折りますが(いつか話せる時がきたら、話します)、自分でも「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせていたんですが、「ああ、もう手放したし、吹っ切れたと思ってたんだけどなー」と思いながらも、ショックすぎて、体から血の気が引くのがわかるくらいだったんですよ。

それで、誰かにその話を聞いて欲しくて。一人じゃ崩れそうで。
某SNS内に、「根本裕幸お弟子カウンセラー」のスレッドがあるので、その時の思いの丈をぶつけたところ、

ソッコーでリアクションがありまして。

なに?なんなの君ら? どんだけヒマなんだよ!優しいんだよ!

と思いながら、次々カキコされていく、うざ熱くて、愛情溢れる励ましの言葉や、エールに涙腺緩ませながら眺めてたんですが、ふと思い当たりまして。

これって、クライアントじゃん。
と。

「ああ。カウンセラーに勇気をもらえるクライアントさんって、こんな気持ちなんだ」
と、今更ながらに、心の底から実感したんですね。

今まで、カウンセリングも受けたこともありましたし、セッションをしている中でも、クライアントさんってこんな気持ち、こんな感じというのは、自分でもわかてって、実感しているつもりだったんですけど、「心の底から」とでもいうのでしょか、こんな感じは初めてで。

ええ?今更?
ええ、今更ですよねー。苦笑。

きっと、クライアントさんも、どういう事情や経緯や、どんなことがあったかは人それぞれなんだろうけど、崩れそうな時や、一人じゃ抱えられない状況の時や、誰かの声を聞きたかったり、誰かの声を聞きたいときがあって、そんな時、寄り添ってくれる人間がいるだけで、それだけで救われると思うし、支えになるんだろうなーということが、「腹の底の底から」わかったんですよ。

んで、その瞬間。

「ああああああああ。おれ、このために生きていこう!!!」

って、心の底から、なんかこう、そういう「想い」がこみ上げてきて。

気づいたら、涙腺崩壊しそうになってました。笑

さすがに、仕事中だし、街中だし、バスもう来ちゃうしで、泣くまいと、なんとか踏みとどまりましたけど。

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今までは、なんとなくわかってるし、感じてもいたし、思ってもいたんだけど、今回のこれは、なんか、腹の底から湧いて来るみたい。それを「使命」というかどうかはわからんけど。

「もう、これだ!これしかない」

って感じられるほどの強い何かだったんですわな。

誰かがつまづいた時、絶望にある時、しんどい時、辛い時、傷ついた時、不安な時、奪われた時、悔しい時、苦しい時、泣きたい時、暗闇にある時、起き上がれない時に、そこに在って、話を聞いたり、手を差し伸べる存在、闇の中にいる時に、そっと光をもたらす存在。

そいうものになろう!

と。(ケンジのパクリじゃなくて、オマージュね)

今まで、カウンセラーをやってきて、もちろんそういう気持ちはあったし、セッションにも、トレーニングにもそういう姿勢で臨んでいたので、わかっているはずだと思っていたのですが、これが「腹の底から」わかったことで、
「ああ、今までの、それは、「つもり」だったんだ」と思って。
「腑に落ちる」とはこういうことかと。

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僕は、今まで、「自分が何のために生きてるのか」イマイチ実感が持てないで生きてきました。それはまるで、
「おつかいに出かけた子供が、なにを買うか忘れた」ような感覚で。
「なにかしなくちゃならないことがあるのは、わかっている。でも、それが何なのか、わからない」というような感覚。

だから、随分長いこと、「生きる目的」や「使命」「天命」という言葉に憧れて、それをもう数十年も探してきたと思います。

もちろん、カウンセリングや心の世界を学んでいるので、いろいろな人や、師匠からもその話を聞いてきました。

ただ、カウンセラーをやりながら、それがカウンセリングなのか、それとも他の何かなのか、わからない。実感というか、決定的な何かが自分の中で不足していたような気がします。

だから、カウンセリングや本業をやりながらも、ずっと「その何か」を追いかけて探してきました。

それが初めて、今日「腑に落ちました」。

ずーーっと探してきたものは、意外な形で実感するものなんだなと。
(そして、想像してたよりもアッサリしてて、想像してたよりも熱い感じだった)

これが、正直自分の「使命」「天命」なのか、まだ明確ではありません。
(想像では、「雷に打たれたような衝撃」とも聞きいてたけど、そんな衝撃的でなく、どちらかというと、こみ上げてくるというか、ジンワリ広がるというか、言語がするとそんな感じ)


ただ、自分で「そう思った」ので、「そう決めました」。(身も蓋もない?)

今日のこの心の動きが、自分に何をもたらすのかは、まだわかりません。
ひょっとしたら、だからと言って、大きな違いはないのかもしれません。
それは、これからの日々の中でわかってくることなのでしょう。


さて、絶望と希望を同時に味わった一日でしたが、少なくともこれだけは言えます。

仲間たちに、盛大なるありがとうを。

そして

「僕は、これからこのために生きてゆこうと思います」

では、また

Salut !

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