こんにちは
村松 いさおです。
例えば、
失敗したり、競争に負けたり、振られたり、間違ったり、批判されたり、傷つけられたり、バカにされたりした時って、
そりゃあ、落ち込むし、自分のことが嫌になるし、傷つくし、泣きたくなるし、怒りたくなるし、惨めになったりしますよねー。
「自分には価値がないんじゃないか」とか
「自分は劣っているんじゃないか」とか
「自分はダメなんじゃないか」とか
どうしても、そんなふうに感じてしまうと思います。
今日はそんなお話し。
特に、好きな人を取られたとか、ライバルに負けたとか、選ばれなかったとか、「誰かと、何かと比較されたり、競争したりして負けた時」ほど、
そういう無価値観とか、劣等感とか、メチャクチャ出てくると思うんですよ。
まぁ、僕も色々経験ありますしね・・・(遠い目)
でも、そう言う時に忘れないで欲しいなと思うのは、
あなたが、失敗したり、競争に負けたり、振られたり、間違ったり、批判されたり、傷つけられたり、バカにされたりししても、
あなたの価値は、1ミクロンも変わらない
ということです。
別に、あなたが失敗する前と後、振られる前と後、選ばれなかった前と後で、体重とか身長とか変わらないし、特に(物理的な)大きな変化とかないと思うんですよ。
あ。流した涙の分だけ軽くはなるか・・・・。
え?その分、やけ酒飲んで、イーブンですって?(←ちょっと、何言ってるかよくわかりません)
これは、あくまで個人的な見解なんですが、
人や物の価値って、他の人や自分が勝手につけてるだけで、その人や物の本質ではない
と思っています。
例えば、「お金」ってありますよね。
あれって、ちょっと手元にあったら、眺めてほしいのですが、元は単なる「金属」や「紙切れ」なんですよね。
まー、一万円とか、実はスーパーでハイパーなテクノロジーが使われているらしいから、そういう意味ではスゴイけど。
その「金属片」や「紙切れ」に対して、国や社会が
「これには、その金額の価値がありますよ」
って価値を付けて、その価値を保証しているから、単なる「金属片」や「紙切れ」にそれぞれの金額に対応した価値があるようにみえるだけなわけで。
単なる金属片と言えば、金属片
単なる紙切れと言えば、紙切れ
なだけなんですよね。
そういえば、その「貨幣を発行して、その価値が認められる」ということも、「国」を定義する一つの条件になっているとか、なんとか聞いたな。むかし。・・・たぶん(←っおい)
それと同じように、
あなたが、何をしてもしなくても。
あなたが、勝っても負けても。
あなたが、テストで良い点でも悪い点でも
あなたが、好かれても嫌われても
あなたが、認められても否定されても
あなたが、選ばれても選ばれなくても
あなたの価値は、1ミクロンも変わりません。
そう思うと、自分で自分を攻撃したり、否定したりすることが減るんじゃないかなと思います。
というわけで。
別にマッチングアプリで、「いいね」を山ほど送ったにも関わらず、マッチングがゼロだったからといって、選ばれなかったからといって、僕の価値は、変わりません。
え?
これ、言いたかっただけだろう?
ですって?
・・・・・・・・はい
どちくちょーーーーーーーーーー!!(血涙)
・・・・・あなたの幸せのヒントになれば幸いです
・・・・泣。
では、また。
今日の一杯
フルーリー ベッラチャオ 2017 ジュリー・バラニー
ヌーヴォーで有名なボジョレー地区フルーリー村で女性醸造家のジュリーさんが造る作品。
フルーリーらしい華やかな香りと、ピュアな果実味の広がりは純粋さと優しさを思い出させてくれる。ラベルの拳になぜか勇気と癒しをもらえる赤ワイン。
落ち込むこともあったけど、私は元気です!
問い合わせ先:株式会社ワインプラザマルハタ