こんにちは
村松勇雄です
さて、最近、ネットとか本屋とか、巷のメディアとかを見ていても、
「ほんとうの自分」とか
「自分らしさを大事に」
みたいな文句って良く見かけるようになりましたね。
え?僕だけですか?そーですか。
んで、僕もちょっと前までは、その「ほんとうの自分」っていうのが、何なのかわかりませんでした。
「え?自分に、本当とか偽物とか、あるの?」
「もしあるとしたら、本当の自分って何なの?」
って、思ってたんですよ。
しかも、なんかその手の情報が言うには、
「本当の自分に出会えたら、人生が上向きますよ」とか
「あなたの人生が詰んでるのは、本当の自分を生きてないからだ」とか
「本当の自分に戻ることが出来たら、あなたの才能がが開花しますよ」とか
らしいじゃないですか。
そりゃ、そんなものがあるなら、出会いたいし、見つけたいしと思うわけですよ。
ええ、人間だもの。いさお。
それで、ここ数年、「本当の自分」とか「自分らしさ」って何じゃらホイ?と思って色々勉強したり、探してみたんです。
そしたら、「ああ・・なんとなく、こういうことか・・・」というのが分かり始めたんですね。そう!マイレヴォリューションです!(追いてこい!昭和生まれ!)
結論から言うと、
「本当の自分」とか「本当の自分らしさ」とかって、「そういう人格」があなたにあるって訳じゃありません。
なんか「本当の自分に戻る」とかっていうと、仮面ライダーみたいに今のあなたから、なんかスンゴイあなたに変身するかのようなイメージを持ちがちなんですが(あ、僕だけ?)、違います。
また、「本当の自分」や「本当の自分らしさ」というのは沢山ある、と個人的に思ってます。
なので、どちらかというと僕の解釈では
そういう、「あり方」
に近いです。というか、それです。
(この話題に関しては、心理学からスピリチュアルまで様々な解釈があります。今回は、僕がそれらを含めて接して来た中で見つけた、僕なりの解釈です)
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僕たちは、幼少期から大人に至るまで、様々な人、場所、環境から多種多様の「思い込み」「禁止(タブー)」「観念(ビリーフ」を上書きされて育ちます。
それは、その世界、その社会、その環境でちゃんとした共同生活をするために必要なことでもあります。(それを「しつけ」と言ったりもします」
それは、必要なことではあるのですが、同時に、幼少期にあなたが持っていた(かもしれない)、様々な才能や魅力、願い、欲求を制限することも、時としてあります。
その方が、あなたがその共同体において生活をする上で、または共同体そのものが発展する上で、都合がいいからです。(誰にとって都合がいいかは、さておき。)
例えば
あなたは子供の頃、「砂場遊び」が大好きだったとします。自分のイマジネーション世界に入って、時には一人で、時には友人と、その想像の世界を、砂を使って現実化させることに、ワクワクします。完成した時の達成感の嬉しさは、何物にも代え難いでしょう。
好きであれば、そのスキルもどんどん上達するわけで、友人や周りの大人も「へー、すごいね!こんなの作れるんだ!」と褒めてくれます。
「もう、夕ご飯ですよー」とお母さんに言われるまで、時間を忘れて没頭します。
それくらい、好きです。
でも、ある日、
「砂場は衛生的に良くないし、怪我をする子が多発したので、この公園から撤去します」
と言うことで、公園の砂場は埋め立てられてしまいました。(例えばね)
友人たちも、「たしかに砂場遊びなんて、汚れるし、ダセーから今度から、アスレチックで遊ぼうぜー」と、サッサと砂場から興味を移してしまいました。
(え?「砂場」だけに「サッサ(砂砂)」ですって?誰が上手いこと言えと?)
あなたは、とても残念で悔しく、本当は砂場で創作をしたいのですがどうすることもできず、友人達から仲間外れにもなりたくないので、アスレチックで遊ぶことにしました。
でも、アスレチックでは、体力や運動神経が優れている子が目立ち、今まで砂場でたくさんの素晴らしいものを造っていたあなたの才能は、そこでは活かされず、もう、だれもあなたを褒めることはなくなってしまったのです。
こうして、友人達とアスレチックで遊んでいるうちにいつしか、あなたは「自分は本当は砂場で遊ぶのが好きだし、才能がある」ということも忘れてしまい、なんとかして、アスレチックで「一番早く頂上をめざす」「みんなができない技をやる」「運動神経イズナンバーワン!」なことに一生懸命になるのでした。
おしまい、おしまい。
ということです。
ああ。「砂場より、アスレチックの方が、危険度高くね?」とか「砂場って衛生的でないってどゆこと?」などのツッコミはこの際、無視します。
え?分かりにくい?
うーん、相変わらず、たとえ話がぜつぼー的に下手くそなんですよねー。
要するにですね。
あなたは本来持っている才能や欲求、魅力(この場合は、「砂場が好きで、実はスキルも高く、創作する才能がある」ということ)を、様々な外的な要因で、自分の内側に封印せざるを得なかったということです。そして、自分には向いていないかもしれないけど、周りに合わせて運動の才能や能力を一生懸命身に付けようとした。
ただですね。
「これまで、共同生活を順調にするために、また、この社会で上手に生きていくために教わったり、仕込まれたり、身につけたり、培ったものが、あなたをトキメかせたり、ワクワクさせたり、才能を発揮させたり、幸せにするとは限らない」
「また、あなたが生きている世界のルールや慣習や仕組みが、今のあなたに向いてるとは限らない」
ということです。
まあ、生まれた頃から無人島で一人くらいというわけでもない限り、僕たちが社会で生活する上で仕方のない部分もあるわけですね。
特に、日本の社会は、元からの強い「村社会」に加え、明治時代の頃から「富国強兵」のため、国民の教育水準を上げ、外国の資本主義社会に追いつくべく、「如何に効率よく、多くの平均的に優れた人材を社会に送り込むか」に力を入れてきたため、「個性よりも協調」を、「多様性よりも画一性を」大事にされてきました。
「みんな同じがみんないい」
というわけですね。
ですから、欧米などと比べると、余計にこの傾向が強いんじゃないかと思うんです。
フランスで暮らしてた経験から見ても、そのことは感じます。
ただ、そうして教育や慣習、環境によって身につけた「思い込み」「禁止(タブー)」「観念(ビリーフ」が、今のあなたの人生に合っていたり、幸せ感を感じさせてくれるものなら良いのですが、そうでない場合も、多々ある訳でして。
そうすると、
「なんか、自分はこの仕事、会社、学校に向いてない気がする」
「かと言って、何がしたいのかと言われると、わからない」
「なんか、周りの人間関係がしんどい」
「人生に大きな不満はないんだけど、かといって、満足でもない」
「この人のこと、本当に好きなのかどうかわからない」
「心の底から「生きてる実感」が持てない」
「人生こんなもんだと思っている」
「毎日楽しいとか、全然思えないし、そうなるなんて考えられない」
などなど、色々な問題や悩みが生まれてくることが多いんです。
また、今までの幼少期や学校の教育上、僕たちは、何か物事を判断するのに、「思考優位」になりがちです。
「好き!」や「ワクワク!」よりも、「損得!」だったり、「効率的か非効率的か」で選びがちということです。
もちろん、それが上手く作用する場面もあるんですけど、それがアダとなる場面も実は多い。(それが、良いとか悪いとかはさておき。「さておき」多いなー。今回)
でも、長年の、無意識レベルまでに及んだ、「思考のクセ」「思い込み」「ビリーフ」はそう簡単に気づかないし、手放せない。
先の(わかりにくい・・・泣)例え話で言えば、
本当は想像力が豊かで、芸術肌で砂場で創作活動をするのが好き!という部分を心の奥底に閉じ込めて、運動神経一番!筋肉は裏切らない!テッペン取れなきゃダメやつ!のマッチョなアスレチックの世界にどっぷりつかっているような状態なんです。
しかも、長い間それに浸かっているから、まさか自分は本当は「げーじゅつか」だとか気づきません。
でも、本当は心のどっかで
「おれ!こんなんじゃねーーーーーしーーーー!!」
と感じているので、
「なんか、違くね?」
という、違和感が出るのは、当然ちゃ、当然ですよねー。
なので、
「じゃあ、自分とちゃんと向き合いましょう」
「先ずはその色々なものに上書きされる前の自分=本来の自分」を取り戻しましょうよ」
というアプローチをしていくんですね。
そこには、様々な思い込みや勘違い、ビリーフや観念と呼ばれるものがありますから、それを取り外して行きましょうよと。
まるで、こびりついた汚れを一つ一つ落として行って、宝石に磨きをかけるように。
(まぁ、これが長い道のりになるんですが)
そうすると、
選べるようになります。
自然体でいられるようになります。
自分が何が好きで、何が好きではないかがわかります
自分の才能や魅力に気がつきます
生き方が自由に、軽くなります
本来の才能や好きを発揮するので、成功にも近くなります。
もっと、ラクに、楽しくなります。
そんな自分の「あり方」が手に入るんですね。
昨今、何かと話題の
「本当の自分らしさ」
「本当の自分」
を、僕はそう解釈しています。
私の人生
「なんか生きづらい」
「なんか、違う気がする」
「ここが私の居場所じゃない気がする」
「今の生活に、大きな不満はないけど、心の底から満足でもない」
「最近、ワクワクしてない」
そんな風に感じたら、一度、自分の心と向き合って
「ひょっとしたら、今の私、本当の私、本当の私らしさとズレてるんじゃないか?」
とちょっと思ってみてください。
それだけでも、「思い込み」が外れることがありますよ。
それでは、今日はこの辺で。
最後まで読んでいただきありがとうございました
Salut !!