自己否定・自己嫌悪 自己肯定感

自己肯定感は「戻す」。

こんにちは

村松 いさおです。

 

最近、近所に「チューハイ専門店」が出来まして。
色々なチューハイが楽しめるのですが、中々にイケメンな若い男性二人がやっているのですが、緊急事態宣言も開けたので、オープン当初から早くも近所のオッさん、おばちゃんの溜まり場になりつつあります。ま、僕を含めてね。笑

 

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「自己肯定感を上げる」という表現をしていますが、実は自己肯定感自体は、誰もが持っている心の作用の一つで、「上げる」というより、「戻す」と言う表現の方が本当は近かったりします。ですので、「自分は自己肯定感低いから」と、ガッカリされている皆さん。

 

「自己肯定感高いのがデフォなんでっせ!」

 

今日はそんなお話

 

 

「自己肯定感」って、本当は戻すイメージなんです。

 まぁ、マイナスに下がっているものを戻すので、「上げる」という表現を使うのですが。

 

僕たちは、幼少期、めちゃくちゃ自己肯定感高いんです。赤ちゃんから幼少の頃って、自分では何もできないから、周りの大人が色々やってくれるじゃないですか。

 

ご飯食べさせてくれたり、おしめ変えたり、一緒に寝たり、泣いてたらあやしたり。

 

しかも、その大人の人も、進んで自分の面倒を見てくれたり、むしろ喜んでそれをやってくれる人もいて。

 

でも、それを自己嫌悪したり、自己否定したりする赤ちゃんとかって、いなくないですか?
(いたら、ちょっとその赤ちゃんは異世界から転生してきた可能性があります)

 

「すんません。自分、なんもしてないのに、オムツ変えてもらっちゃって・・・・」
「ああ、わたし、全然役に立ってないのに、ご飯食べて申し訳ない・・・・」

 

って、思わないですよね・・・?

 

少し大きくなったら、なったで、二本足で歩くだけで、周りの大人はテンション上がるし、少し言葉を話すだけで、祭りになるし。

 

僕にも、まだ小さい姪がいるのですが、歩き始めただけ=四足歩行から二足歩行に変わり始めただけで、両親(僕の弟)だけでなく、じーさん、ばあーさん(僕の両親ね)含めて家族総出で、きゃーきゃーわーわー言ってましたからね。(まぁ、僕もその中に含む。だったのですが)

 

当たり前っちゃ、当たり前のような気もするのですが、

  

「あなたは、なーーーーんもしなくても、周りがあなたを見て、勝手に笑顔になるし、あなたもそれを受け入れているんですよ。」

 

これって、最強の自己受容だし、自己肯定感だと思うんです。

 

ところが、大きくなるにつれて、周りの人や、社会と比較し始めます。自分や周りの期待も背負うし、他人と競争するし、優劣をつけられ、受容されたり、排除されたりします。

 

その度に、あなたは一喜一憂して、上手く行けば優越感と自己効力感が高まり、上手く出来なかったり、競争に負けたりすると、傷つき、劣等感と無価値観にさいなまれます。

 

こうして、どんどん、傷つく出来ごとが多くなると、あなたはどんどん自己肯定感が下がっていくのです。

 

わたしは、だめだ。

わたしは、上手く出来ない

わたしは、あの人より劣っている

わたしは、ちっぽけな存在だ

わたしは、悪い存在だ

わたしは、役立たずだ

 

あなたが傷つき、その度にあなたが自分自身に自己嫌悪し、自己否定を繰り替えたびに、少しずつ自己肯定感が下がって行き、無価値観がまるで雪のように積もっていくわけです。

 

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でも、あなたは本来なら、なーーーーんもせんでも、なーーーーんもできなくても、ちゃんと「価値」のある存在なんです。子供の時のあなたのように。
(というか、価値があるとすれば、全ての人に価値があるし、価値がないとすれば、全ての人に価値なんかありません。でも、価値があるとした方が気持ちいいし、この世界が良く見えるでしょ?)

 

ですので、自己肯定感って、本当は誰しも、心の中にあるもので、「自己肯定感って、自分、本当に上がるんかな・・・?挙げられるんかな・・・?」と、ちょっと自信がなくなって来たら、

「上げるというより、戻す」

 

というイメージで取り組んでいただくと、取り組みやすいのかもしれません。

 

というわけで、今日はこの辺で。

 

あなたの幸せのヒントになれば幸いです。

 

では、また。

-自己否定・自己嫌悪, 自己肯定感

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