恋愛・パートナーシップ

愛情を受け取る。それは望んだカタチではないかもしれないけど。

こんにちは。
村松 勇雄です


僕たちがパートナーシップや家族、友人、職場など様々な人間関係の場において、

「やらかしてしまう」誤解の一つに、

 

「自分の望んだ形での愛情しか受け取らない」

 

というのがあります。


「私としては、こういう形で愛情表現をして欲しいのだけど、彼(彼女)がしてくれない」 とか
「相手が示してくれたそれが愛情表現だということがわからない」

 

などどいう、一種のパターンなのですが、意外と僕たちは、これに気づきません。

なぜなら、

「自分と相手の愛情表現は同じ、もしくは似ているはずだ」

とか、あるいは

「自分にとっての愛情表現はこういうもので、私のことを大切にしてくれるなら、そういう表現をしてくれるはず」

という思い込みがあるからです。

でも、実際は、

自分にとっての愛情表現 と 相手にとっての愛情表現がイコールとは限りません。

ただ、相手が自分の「望んだ形」の愛情表現を取ってくれなかったとしても、そこに「愛情がない」というわけでは、決してなく、相手の愛情表現が、自分にとって単に「分かりづらかった」「受け取れなかった」だけだったことって、ケッコーな頻度であると思うんですよ。


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昔、僕がまだ小学生だったころ、両親に怒られて弟と家出をしたことがありました。
ちょうどお祭りの夜で、そのお祭りに行くことをとても楽しみにしていたのですが、何かの理由があって(なんなのか、今ではもう思い出せませんが)、両親とケンカして、叱られた僕は、自暴自棄になって、弟を連れて家出をしたんです。
まあ、とばっちりを食らった弟はいい迷惑だっと思いますが・・・・笑

家出と言っても、小学生の足ですから、大した行動範囲ではなかったのですが、楽しみにしていたお祭りに行けなくなったこと、これからどうしようかという不安感、両親への怒りと罪悪感、やらかしてしまったという後悔とで一杯になって、小さな弟の手を握りながら、トボトボ歩いていたことは、今でも覚えています。

夜の寂しい街灯の下、歩いたり休んだりしながら、さまよっていたのですが、それから数時間が経ち、道路の脇を疲れ切った足取りで歩いていた僕たち前に、一台の車が止まったんです。
運転席から父親が出てきた瞬間、僕は「うわー、めっちゃ怒られる!」と身構えたのですが、父親は何も言わず、一瞬安堵した表情を見せ、僕たちを後部座席に乗せてから、車を走らせ家へと帰りました。

 

途中で、父親は信号待ちの時、ハンドルを思いっきり叩いたり、地団駄を踏んだりして、めっちゃ怖かったのですが、今思えば、僕たちへの怒りというより、父親としての自己嫌悪だったんだろうなぁ・・・

家に帰ると、両親にそりゃ叱られるわけで。
近所の人にも声をかけて探してもらったたこと、色んな人に迷惑をかけたこと、とても心配したこと、もう二度としないことなど、散々言われました。
まー、振り返ると、弟が一番の被害者でしたね。つくづくスマン。弟よ。

ひとしきり叱られた後、不意に父親が、僕たちに「ほれっ」と言って、差し出してきたものがありました。

それは、お祭りの縁日で売っている、他愛ない玩具でした。

多分、僕たちがお祭りに行きたかったのに行けなかったため、買ってきてくれたものだと思うのですが、普段、父親はあまりそういう事をする人ではないと思っていたので、びっくりして「あ・・・ありがとう・・・」と受け取りました。ですが、その時は正直言って、

「ええ・・・・これじゃないんだよ・・・・」

感が僕の中であったんですね。
なんとういうか、「これ、対象年齢、もう少し下だよねー。ま、弟なら喜ぶだろうけど」という感覚というか。

「ちょっと、おしい」感というか。

それは、その当時の僕が欲しいと思うような玩具ではなく、ちょっと「違った」んですよ。
わかります?

まー、我ながら、くそ生意気というか我儘というか、もらっておいて何ですか!だったんですけど、子供だったんで、よくわからなかったんです。

「まー、お父さんには僕の欲しいものは良くわからないだろうな・・・」とその時思いましたね。

 

でも、その時、小学生の僕にはわからなかったんですけど、

 

「確かに、それは僕の望んだ欲しいものではなかったけど、そこには確実に愛情が存在した」

と思うんですよね。

必死になって、僕たちを探す父親。
不安と心配、怒りと罪悪感で一杯の父親。
至らなさや後悔、やるせなさを抱えながらも、子供を探す父親。
行きたかったであろうお祭りを台無しにしてしまったという想い。

それでも、子供たちが楽しみにしていたであろうお祭りの雰囲気や気分を、少しでも味わって欲しいと思う父親。
子供たちに何をあげたら喜ぶかわからないけど、迷いながらも一生懸命考える父親。
「喜んでくれるだろうか」「笑顔になってくれるだろうか」と少しの不安と期待を抱えて玩具を買う父親。

そこには、「子供を思いやる、子供に笑顔になってほしいと思う、父親の大きな愛情」が確かにあった思うのです。

それから30年ほど経ちますが、このエピソードは「父親の愛情を確かに感じられた出来事」として、「父親と息子たちを繋ぐ絆のお話」として、今でもはっきりと覚えている大切な思い出となっています。

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相手が示す愛情表現が、常に僕たちに分かりやすく、また僕たちが望んだ形として伝わるわけではありません。

「自分がどういう形で最も愛情を表現するか、また感じるか」に関しては、次の様々なパターンがあると言われています。



* 物

モノで愛情を感じる事パターン。プレゼントや与えられた物の価値などで愛情を感じます。お金などもここに入ります。

 

*言葉

言葉で愛情を感じるパターン。言葉でのコミュニケーションや表現で愛情を感じます。

 

*スキンシップ
スキンシップで愛情を感じるパターン。肌に触れたり、手を繋ぐ、キスをする、抱きしめるなどで愛情を感じます。

 

*時間・体験
相手と一緒の時間を過ごす、同じ体験をすることに愛情を感じるパターン。「モノより思い出」などを重視します。

 

もちろん、これはその人が「最も感じる」「最も重要視している」パターンであって、基本的に人は全てのパターンにおいて愛情を感じたり、表現したりことはできます。ただ、その中でも比較的、大切にしていたり、割合が大きいを部分というものがあるわけです。


そして、人は

「自分が愛情を強く感じるパターンで、パートナーや家族、友人などにも愛情表現をしようとする」傾向があります。

自分が「こうしてくれたら嬉しい」ということを、相手にも同じように、同じ表現方法でやろうとするわけですね。

ただ、残念なことに、そのほかのパターンで示された愛情表現に対しては、受け取れなかったり、気づかなかったりすることがとても多くあります。

例えば、「言葉」での愛情を表現を重視する方は、パートナーと一緒にいる時、彼に対して「愛してるよ」「好きだよ」「大切だよ」という言葉での愛情表現をすると同時に、自分も彼からの言葉での愛情表現を重視します。言葉で言われると「ああ、愛されてるわー」と感じるんですね。

 

でも、そんなパートナーが「時間・体験」での愛情表現を重視する方だった場合、「一緒にいても何もしゃべらねー!こいつ!」と思うようなことが良くあります。
彼にとっては、あれこれ自分の想いを言葉に出して表現したりすることよりも、一緒にいることの方が大切だと思っていたり、愛情表現だと思っているんですね。
(まー、日本の男性、特にちょっと古風な男性は、この傾向が強いかもしれません。「男は背中で語ることがかっこいい」というパターンですな。)

そうなると「言葉重視派」は「なんか、好きとか愛してるとか言わねーし、こいつ、アタシのこと本当に好きなの?」と、ここで「すれ違い」が生じてしまいます。

でも、彼は彼で、その人と一緒の時間を過ごすために、一生懸命スケジュールを調整したり、仕事を早めに切り上げたり、そのために同僚に仕事をお願いしたりているのかもしれません。

言葉では表現できなくても、それは彼なりの愛情表現ではないでしょうか?

だから、

 

「自分がどんな愛情表現に、グッとくるのか」
「その人は、どんな風に愛情を表現するのか」

ということに思いを巡らせたり、お互いに把握したりすることは、良好なパートナーシップや人間関係を築く上で、ちょーーーー重要になります。

そして、

「自分にとって望んだ形ではない、分かりづらい」愛情表現だったとしても、

そこに不満を持つのではなく、


「それが愛情表現だったとしたら、自分にどんな愛情が向けられたのか」
「それって、その人なりの愛情表現だったのではないか」

 

を考えて、もし、そこにあった愛情に気づいたとしたら、「その愛をきちんと受け取る」こともとても大切になってきます。そして、その愛情を受けとり始めると、

「私は、この人に確かに愛されてる。(いたんだ)」

ということも、受け入れられるようになってきます。

 

「私は、こういう風にされると(言われると)愛情を感じるし、とっても嬉しいのだけど、あなたの場合は、どうなの?」

ということを、ちゃんと話したりコミュニケーションしたりして、お互い理解しておくことが、この「すれ違い」や「誤解」を避けるために、重要になってくるわけですな。

これは、今のパートナーシップ、家族、友人、職場などの人間関係はもちろんですが、過去の人間関係においても、その時の相手や自分を理解するために、とても有効です。

 

「あの時の、あの人のあれは、今思えば愛情だったのかもしれない」という視点。

それは引いては許しや感謝に繋がります。

 



「あなたの愛する人(愛した人)は、どんな風にあなたを愛する(した)のでしょうか」
「自分は、(その時)愛する人をどんな風に愛する(した)のか」


このことについて、少し考えてみること、そして出来れば、それを相手にも伝えることで、

あなたと、その人との関係性は、きっと今よりももっと深く、愛情に満ちたものになるでしょう。



それでは、今日はこの辺で。

最後まで、読んでいただきありがとうございました

Salut !!

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