心の学び

人は正しさでは動きません。

こんにちは

村松 いさおです。 

 

 

 

先日、知人に誘われて行った、とある起業家講演会の中で出会った言葉で、割と刺さった言葉があってですね。

どんな言葉かというと、

 

「人は正しさでは動かない」

 

ということ。

 

僕たちは、相手とコミュニケーションをする際に、ついつい「正しさ」を使って、相手を説得したり、お願いしたり、交渉しようとしてしまいます。

 

「私のこと愛しているのなら、ラインに返事くらいしてよ(愛しているなら、それくらいのことをするのが正しい)」

 

「フツーはこれくらいできて当たり前なんだから、やってよ(これ位出来るのが正しい)」

 

「あの店員、接客態度悪くない?(お客様には丁寧にが正しい)」

 

「引きこもってないで、学校に行ったら?(学校に行くことが正しい)」

 

時には、自分自身にすら「正しさ」で判断し、自縄自縛に陥ることもありますよね?

 

「酔っぱらったら、ちゃんと適度なところで帰るべき(酒は適度が大人として正しい)」

 

あ、それはオマエだけだろ。ですって・・・?
・・・・そうですね

 

でも、「正しさ」では、人は動かないんです。

 

なぜなら、「相手にも相手の事情、背景、理由、正しさ」があるからです。

 

NLPという心理学の諸前提に、

 

「ある行動は、その時点の最善である」

 

というものがあります。

 

人は常に、与えられた環境の中で、最善の行動を選択するので、あなたから見て、相手の行動がどれだけ「うわー。最悪。ありえねー」と思っても、相手にとってはその時点で「その人にとっての最善」(最良ではないですよ)な選択をしているものです。

 

もちろん、倫理や道徳、社会的常識として「正しさ」は必要です。

 

でないと、この世は世紀末救世主伝説のような、ハチャメチャな社会になってしまうでしょう。

 

でも、「その人が動くか?」と言ったら、話しは別なのです。

 

じゃあ、どうするか? 

 

それは「相手を理解する」ことが必要だと言います。

相手にも、相手の正しさがある

相手は、その時点での(自分なりの)最善を選んでいる

 

ということを踏まえた上で、相手の

「背景、事情、状況、環境、性格、立場、想い」をイメージして理解しようと試みる。

そして、可能ならばイメージしたことを相手に伝えて、それが合っているか確認し、さらに理解を深めていく。そうして少しずつ、相手を理解していく。

 

「ああ、ラインで既読スルーなのは、もしかしたら忙しいのかもしれないな」

 

「これ位出来ないのは、もしかしたら彼女の苦手な分野なのかもな」

 

「接客態度が悪いのは、なにか嫌な事でもあったのかもな」

「引きこもるのも、学校で何かあったのかもな」

 

「深酒してしまうのは、ストレスを抱えていたのかもな」

 

そうやって相手との、自分との対話を通じて、お互いに理解をし合っていくことで、人は動くようになります。

 

もちろん、「理解」をしたことを、あなたが「受け入れるかどうか」は別です。(←ここ、すげー大事です)

 

例えばモラハラ夫の事情を理解したからと言って、それを受け入れることが出来ないこともあるでしょう

 

「それを(今は、まだ)受け入れられない自分を理解する」

 

ことも大切です。

 

また、理解したからと言って、相手が動くとも限りません。(期待を手放す)

 

そして、真面目な方に多いのですが「ちゃんと理解しなくちゃ」と100%理解することを、自分に課す必要もありません(目指しても良いですが、縛られる必要はないということ)

 

今の自分にできる範囲で、相手を、自分を、「理解しよう」と試みるだけで、相手との関係性は変わって来るでしょう。

 

正しさで人は動かない。でも理解をすることで、動く(かもしれない)。

 

ちょっとずつ、取り入れてみたらどうでしょうか。

 

では、また。

 

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