今日も、無料お悩み相談サイト「ココロノマルシェ」に寄せられたお悩みにお答えして
いきますよっと。
※ 「ココロノマルシェ」は心理カウンセラーの根本裕幸氏が運営する無料お悩み相談サイトです。
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※僕からの回答について、初めてお読みいただく場合は、こちらの
『ココロノマルシェ』の回答についての注意点
をご一読ください。

実年齢とこころの年齢とのギャップ
47歳独身女性です。
実年齢と心の年齢のギャップが苦しいです。
社会生活では47歳といえば子供もいて年相応の感覚やふるまいを求められるのですが、心の中は中二病というか、私を見て、注目してという思いが常にあります。
そんな思いが強くなるときは、話をしすぎていやになります。
普段おとなしいのでそのギャップを周りに指摘されてさらに自己嫌悪してしまいます。
自分がどんな風に見られてるのかを意識すると、他人と関わるのがこわくなっていやになります。
私は家族関係があまりよくありません。
父は放任で無関心、母は過干渉なところもあるけど自分の理想を押し付ける感じでした。
6歳離れた兄が一人いますが、兄のほうが大事されているという思いが小さいころからありました。
家族で満たされなかったものを外へ投影しているんだと思います。
でもそれをどうやって癒したらいいのかわかりません。
今、転職活動中ですが全くうまくいきません。
アドバイスいただければ嬉しいです。宜しくお願い致します。
ももさん
ももさん、こんにちは。
ご相談をお寄せいただき、ありがとうございます。
実年齢が47歳ということで、世間一般からみれば、
「良い大人」
「落ち着きがある」
「年相応」
という、社会的に一人の「大人としての振舞い、言動」が求められている一方で、
「私を見て」
「私に注目して」
「私の存在に気づいて」
という、まるで「子供」のような依存的な自分もいて、そのギャップに戸惑うというのは、割と良くあるケースなのではないでしょうか。
かくいう、僕も
・飲み屋の前で駄々をこねる
・繁華街の道端でキャッチの人に声を掛けられると、すぐついて行こうとして友人に羽交い絞めで止められる
・お腹がすくと、機嫌が悪くなる
・野良猫、野良犬を見かけると、ついて行きたくなる
・UFOキャッチャーで取れないと、火がついてお金を溶かす
・ソシャゲのガチャで爆シすると、世界の終わりかくらいに落ち込む。逆に10連で当たるとこの世の天国
などなど、
とてもアラフィフのオッサンとは思えない振舞い
は日常茶飯事で、「俺って、なんて子供なんだ・・・」と膝を抱えて遠くを見つめる日々です。
まぁ。「大人の男と子供の少年との違いは、おもちゃの値段くらいだ」というイギリスの有名な(?)ことわざにもあるように、世間一般のイメージとは違い、それほど多くの大人にとって子供との違いは「 図体だけ 体の大きさだけ」なのかもしれません。
さて、話を戻して、ももさんですが
「私を見て」
「私に注目して」
「私の存在に気づいて」
という欲求を抱えており、これがどうにも「子供」っぽく、中二病的に感じられるということですが、そもそも人間は他者とのコミュニケーションで社会を形成する「社会性動物」であり、本能的に
私の存在を認めて欲しい
私に注目して欲しい
という承認欲求というものを持っています。
(その意味において、アブラハム・マズローというアメリカの心理学者は承認欲求を人間が成長過程において獲得する欲求の4番目に位置づけています)
そして、その根底にあるのは、
「私の存在を認めて欲しい」=「私を愛して欲しい」
ということでもあり、それは、全ての人間存在における根源的な欲求でもあるのです
なので、まず、ももさんに知っていただきたいのは
「私の存在を認めて」「私を見て」という気持ちは、中二病的なものではなく、
多少の差はあれど、人なら老若男女問わず、誰しも持っている欲求
であり、ももさんが、特別他の(大人の)人と大きく異なる。というわけではない
という点です。
ですので、「私の存在を認めて」「私を見て」という気持ちが出ても、ご自分を責める必要など全く無く、
「そうか、これって、皆が持っている感情なんだ。私はちょっとそれが強いだけなのかもしれないな」
と、どうか優しくご自身の気持ちに寄り添ってあげて欲しいなと思います。
そもそも、世間一般的な
「大人ならこうあるべき」
「大人ならこうしなくてはならない」
というのも、社会的な一種の「思い込み」、もっと言うなら「洗脳」であり、万人全てに当てはまるわけではありません。
そうした、社会や世間から(半ば強制的に)枠組みを押し付けられ、それに縛られるのも、なにか不自由な生き方のような気がしてなりません。
ぜひ、ここは
「私はワタシ、人はヒト」
「自分軸」
というあり方を大切にされてはいかがでしょうか。
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しかし、一方ここで注意したい点は、この
「私を見て」
「私に注目して」
「私の存在に気づいて」
という欲求が、強く出すぎると、それによって大きなストレスを抱え、現実的な問題を引き起こすことがあります。
かつて、日本の脳科学者で神経専門医の柿木隆介先生は、「私を見て」という潜在的な気持ちが強いあまり、こうした大きな悩みや問題を引き起こすまでになってしまった状態を
「 Look at Me Syndrome(私を見て症候群) = LAMS 」
と名付け、このLAMSがもはや現代病といっても過言でないほど、今の社会に大きな影響を及ぼしていることを看破されました
※参考図書 柿木隆介 「読むだけでさみしい心が落ち着く本」(Amazonに飛びます)
(良書です。お医者さんが書いた本なので、面白味はソコソコですが、この問題に一石を投じる内容です)
この本の中でも書かれている通り、この「私を見て」「私の存在に気づいて」という欲求は、誰の心にもあるものであり、人間の本能的な欲求である以上、誰もが陥る可能性のあるものですが、ことLAMSによって引き起こされる悩みや問題の数々は、そうした欲求が満たされないことによる、「心のさみしさの現れ」であり、その奥底には「私を見て」という、せつないまでの心の叫びが横たわっているのです。
(ただし、その欲求に顕在意識的に自分で気づいている場合もあれば、潜在意識的に気がついていない場合もあります)
例えば、
・SNSの炎上騒ぎやネットでの誹謗中傷合戦
・行き過ぎたルッキズムと、美容整形や他者攻撃の問題
・集団、個人による迷惑行為や非行行為
・芸能人、著名人、政治家などに対する行き過ぎた社会的制裁
・今まで「良い子」「大人しい子」と思われていた子供が、ある時突然、問題行動を起こすようになる
などの根底には、このLAMSが絡んでいると指摘されています(もちろん、全てではないでしょうが。)
※気を付けていただきたいのは、このLAMSは「症候群」と名付けられていますが、決して「病気や疾患」ではなく、「誰にでもある本能的な心の欲求が、ほんの少しねじれて現れているだけ」であるという点です。
※そして、ももさんがLAMSかどうかも、ご相談文からは判断ができません。あくまで、「このようなものがあるんだ」という参考として、一般論として、お読みください。
さて、ももさんの相談分には、
>父は放任で無関心、母は過干渉なところもあるけど自分の理想を押し付ける感じでした。
>6歳離れた兄が一人いますが、兄のほうが大事されているという思いが小さいころからありました。
とありますが、幼い子供にとって、親の理想や誰かとの比較ではなく、「ありのままの自分を見て欲しい」「ありのままの自分を認めて欲しい」と思うのは、ごく自然なことであり、それが十分に満たされない場合、その欲求が抑圧され、大きなストレスとなってしまい
>そんな思いが強くなるときは、話をしすぎていやになります。
とあるように、他者とのつながりの中で、それを「満たそう」「叶えよう」という想いが無意識的な「現れ」となって、つい「話過ぎてしまう」「大人しい普段とのギャップに驚かれる」ということも、十分あり得るのではないか。と思います。
また、このLAMSのやっかいな点は
>自分がどんな風に見られてるのかを意識すると、他人と関わるのがこわくなっていやになります。
と、ももさんの内容にもあるように、
「私を見て」「私の存在を認めて」いう欲求がある一方で、「もし、人にそれを出して避けられたらどうしよう」「もし、存在を認められなかったら嫌だ」という気持ちもあるので、
「私を見てほしいけど、そのために人と関わったり、アプローチしたり、何か行動を起こすことに、大きな不安や恐れを憶える」
という、大きな葛藤状態が生まれてしまう場合があるという点です
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さて、以上を踏まえて上で、「んじゃ、どーすればエエねん?」ということですが・・・
:まずは「そういった欲求は当たり前のもので、誰しも持っているものであり、ただ少し私の場合はそれが強めなだけなのかもしれないな。」という点は、知っておかれると良いと思います。
これだけでも、だいぶ「自己否定」「自己攻撃」が減ってくるのではないでしょうか。(そもそも、自己嫌悪の必要はなく、誰しもが陥る可能性がある以上の、そのような想いを持たれたとしても、誰も非難できるものではありません)。
:また他人ではなく、「自分でそれを満たしてあげる」という視点でアプローチするのはいかがでしょうか
例えば
・絵画や音楽、芸術、演劇、朗読劇など何か「注目されるもの」「自分を表現できるもの」に取り組んでみるのも良いかもしれません。
アイドルや芸能人、著名なアーティストなどの背景には、こうした欲求が才能方面で発揮されたことも一部あるだろうと思います
・自分の話をちゃんと聞いてもらえる場に行ってみる
心理系のグループワークやグループセッション、各種NPOや自治体などが行っている、自助グループなどでしたら、安心・安全の場で自分のお話ができます
自分の話を「ちゃんと聞いてもらえる」という経験をすることで、安心・安全感がご自分の中に育まれることを目指します
・ヨガやジョギングなどの運動、瞑想などに取り組んでみる
上記の柿木先生も提案されていますが(お医者さんなので、アプローチ方法も心理セラピー的というより、行動療法的。(笑))、LAMSによる強いストレスを解消するため、自律神経系に働きかける
特に呼吸は自律神経を整えるそうです
などなど、まずはそのあたりから取り組まれてはいかがでしょうか
そしてその上で、ももさんにとって、その欲求が原因で現実的な問題や大きな悩み(←ここ重要ね)が起きるようであれば、カウンセリングやセラピーでがっつり癒しに取り組まれても良いかと思います
(いきなり、カウンセリングやセラピーで過去と向き合ったり、癒しを進めたりするもの、アリですが、LAMSは愛着の問題とも絡む可能性もあるので、割と覚悟や「心的強度」が必要となる場合があります。この辺りは、担当のカウンセラーやセラピストと相談しながら進めるのがベターでしょう)
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上記の本でも書かれているのですが、僕自身も、こうした誰もが持つ
「私を見て」
「私の存在を認めて」
「私に気づいて」
という欲求は、
程度の問題
だと思っています。
上手に発揮できれば
・認められたいから、仕事や勉強を頑張る
・認められたいから、完成度の高いものを創る
・認められたいから、多くの人にアプローチできるようにする
など、自分の成長につなげ、社会的な成功を納める人も少なくありません。
一方で、強すぎれば、現実的な問題を引き起こし、「生き辛さ」「孤立感」を生み出してしまうでしょう。
なので、
「無くす」
というよりも
「ゆるめる」
「上手に手なづける」
「うまく発揮できるようにする」
という風にアプローチを進めた方が、ももさんの場合は、上手くいくような気がします。(そもそも本能的欲求なので、無くす=ゼロにするのは難しいでしょう)
一見やっかいな「私を見て」「私の存在を認めて」という欲求ですが、裏を返せば
隠れた「大きな才能・魅力」の現れであり、モノゴトを為す上での原動力
であるとも言えます。
それを上手に発揮できるようになった時、ももさんの未来に一体どれほど素晴らしいことが待っているのか。
僕は、それがとても楽しみです
あ、上述の参考図書は、興味があれば、ぜひご一読されることをおススメします。
それと、転職活動については、現時点ではなんとも申し上げられません。
ももさんの抱えていらっしゃるお悩みと、関係があるかもしれませんし、ないかもしれません。
というわけで、ももさんのご相談に対する、僕からの回答は以上です
あなたの笑顔と平和を応援しています