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気付くか気付かないか。それが問題だ。

こんにちは

村松勇雄です。

今日は面白い動画があったので、シェアさせてください。

あなたの注意力をはかるためのテストです。

白いチームが何回パスしたか間違えないように数えてくださいね。
(英語なんでわかりづらいかもしれませんが。。。)
(答えは動画の中に出て来ます)

いかがでした?
最初、わかりました?
僕は、まったくわかりませんでした(汗)

意外とわからないですよねー。
本当に人って、見ているようで見てないものなんですね。

でも、こういうことって、大なり小なり日常生活でもよく体験することだと思うんですよね。

んで、これって、「気付くか、気付かないか」の問題だと思うんですよ。

気付いたら、一瞬で気づいて、「あーもーそれにしか見えないっ」となるけど、
気付かない時は、「あー、一生気付かないだろうなー。」というか。
だまし絵でもあるじゃないですか。そんなやつ。


二種類の動物がいるみたいですよ

そういう意味では、「発明」とか「発見」みたいなもんじゃないでしょうか。
見つけたり、気づいたりする時は一瞬だけど、見つからない、気付かない時は千年たっても気付かないみたいな。

そういえば、マヤ文明は「車輪」の「存在」は知っていたけど、「車輪」の「使い方」は知らなかったというのは、有名な話ですよねー。
それで、あんなに大きなピラミッド造るんだもんなー。すごいよなー。
でも、存在を知っていたなら、荷車にするだの、乗り物にするだの、使えばいいと思うんすけどね。
そこは「気付かなかった」んだろうなー。

あ、ただ、今回の動画のように、気付く、気付かないことにも「人間の本能」とか「生物の性質」に起因する部分があるので、そのへんは、気付かくても仕方ない部分でもありますよね。そこに気付かないからこそ、他の、もっと大事な部分に気付く。みたいな。
例えば、生物ってやっぱり、動かないものよりも動くものに気付きやすいっていいますし。
動くものに気付きやすいからこそ、身を守ることができたり、餌にありつくことができるわけで。

で、ここからが本題なんですけど、
こういうことって、僕たちの心の世界にもあることで、色々な経験や感情に対して、
「あ。これってこういうことだったんだ」とか
「あー。彼のあの時の態度は、こういう理由からだったのかもなー」とか
「あれ?ひょっとして、僕の中にあるこの感情の出どころって・・・自己嫌悪!?」

みたいに、後から気付いたり、思いついたり、感じたりすること、結構あると思うんですよね。
特に、「心」なんて、目に見えないし、五感で感じ取れないぶん、すごいあやふやだし、変化しやすいので、中々「気付く」ことに「気付く」ことが難しいというか。(うーん。ややこしい)。「気付く時は気付くけど、気付かない時は、気付かないよね」っていうことあるんじゃないかなー。

さらに言えば、こういう時「の気づき」って、自分や人を「理解する」ことにつながると思うんですよ。
そりゃあ、もう、ダイレクトに!

そういう意味では、「気付くか、気付かないか」ってすげー大事なことなんではないだろうか・・・

あ、ただですね、これって「気づいたからエライ」とか「気付かないからダメ」というわけじゃなくて、ある意味仕方のないことですし、僕らに自由にコントロールできることではないと思うので、まー、気づいたら「ラッキー」くらいのことなのかもしれませんねー。

今日は「気付くか、気付かないか」のお話しでした。

え?本題が短い?


・・・・・よく気づきましたね・・・。

では、今日はこの辺で。
今日も読んでいただきありがとうございました。

Salut!

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