ちょっとした話し

「当たり前」って「当たり前じゃない」のこと。

こんにちは

村松 勇雄です

昔、フランスに住んでいた時に(パリジャンだったんですよー。こう見えても)、スイスに何人かと研修旅行に行く機会があってですね。

まあ、諸事情があって、僕だけみんなと一緒に行かずに、遅れて現地集合で行くことになったんです。

諸々の用事を済ませ、現地近くの駅に着いたのが、夜の19時くらい。そこから、研修場所までは、徒歩で15分くらいだったんですが。

なんせ、真っ暗なんですよ!

街灯が一つもないんです。

運悪く、その日は月も出てなかったので、頼れる明かりが全くなく、文字通り漆黒の暗闇の中を、携帯電話のライトだけを頼りに歩きましたよね。辿り着いた時に安堵感は、半端なかったなー(しみじみ)

あ。何が言いたいかと言うと、「スイスって意外にショボいぜっ!」ということではなく。

普段、当たり前に感じてるものって、ホントに当たり前にあるものではない。

ということです。

日本って、よっぽど山奥とか秘境に行かないと、昨今「真っ暗闇な道」ってあんまりないじゃないですか。

どこに行っても、街灯なり、電灯なりがあって、明るくて安心しますよね。

でも、旅行したことある方ならわかると思うんですけど、ヨーロッパって、街の中心から離れると、「いきなり暗闇」みたいなところが結構あってですね。ええ。「ステーキ」じゃなく。

日本と同じような感覚で行くと、わりと簡単に「暗闇の恐怖」を味わえたりします。

それで、そういう時になって、初めて「道路のあちこちに街灯なり、電灯なりがある生活って、当たり前じゃないんだ」ってことを、マジで実感するんですよね。

「当たり前にあるものは、当たり前じゃないんだよ」

って、結構、あちこちで言われたりしてるので、「ふーん、なるほどー、そうかもねー」とついつい聞き流してしまいがちなんですけど(あれ?僕だけ?)、それがない環境や、無くなった状態に身を置いた時に、初めて「実感」として、感じるんですよね。

それが、モノだったり、社会システムだったり、人だったり、環境だったりするんでしょうけど、「その当たり前なこと」がない状態ってどういう感じなんだろう?という風に、時々考えてみることって、「それがある、ありがたさ」を感じるためには必要なのかなと思ったりもします。

そう考えると、僕らの周りには色々なものがあって、便利で恵まれているなと感じられるかもしれません。

そいうえばどこかで聞いた話で、「幸せを簡単に感じる方法」として、

「コンビニの前で目を閉じて、そこで、「ガチで無人島で何も持たず10年暮らした事を、可能な限りリアルに想像してから目を開けてコンビニを見る」というのがあったけど、それも、こういうことなのかもしれませんね。

あー。そういえば、さっきからハサミが見つからなくて、封筒が開けられないんですよねー。

不便だわ~。

・・・・え?・・・・カッターでいいじゃんですって・・?・・・・・・

 

 

 

それでは、今日はこの辺で。

最後まで読んでいただきありがとうございました

Salut !!

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